Tyrannosaurus Rex - My People Were Fair and Had Sky in Their Hair... But Now They're Content to Wear Stars on Their Brows (Expanded Edition)

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Tyrannosaurus Rex - My People Were Fair and Had Sky in Their Hair... But Now They're Content to Wear Stars on Their Brows (Expanded Edition) (1968)
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 60年代から脈々と受け継がれているサイケデリック風味のサウンドやバンド、アルバムも聴くには聴いたがあまり得意ではない分野の音として位置付けている。その手の作品で名盤と語られるアルバムも多いが、一般的に聴いて名盤と思われる作品は少ないし、聴き込んでも結局好みで名盤かどうかが分かれる類のカテゴリとも感じているから、自分での結論のひとつは一通り触れて得意ではない分野として置いておこうと。ところがカテゴリを意識しないで聴くと妙に心地良く聴けたり、元々好みの雰囲気もあるので全くアテにならない。気分によって、またその時々の環境によって大きく変わるカテゴリのサウンドだろうか、また今ここで気持ち良く聴くとは。

  Tyrannosaurus Rexの1968年リリースのファーストアルバム「My People Were Fair and Had Sky in Their Hair... But Now They're Content to Wear Stars on Their Brows」。やたらタイトルが長く、それも市場でのインパクトを狙った面が大きいと思えるが、まだこの頃は決してメジャー路線が敷かれていなかったトニー・ヴィスコンティとリーガルゾノフォンレーベルがタッグを組んで放った奇妙なデュオの作品だった。今でこそマーク・ボランのスタイルやティラノザウルス・レックスも認知されているが、普通に同時代に12弦生ギターとパーカッションのふたりだけのデュオでライブやレコーディングに挑むのはいなかっただろう。また、かなり奇抜で奇特なスタイルでもありロックへの挑戦かもしれない。いずれにしても他にこのような形態でシーンに登場してそれなりに評価を得たバンドやアルバムは例えそれがマイナーレーベルであってもほとんど見当たらない。それが、ティラノザウルス・レックスではアルバム3枚もリリースされて、その後があるにしても評価されていたのは驚きに値する。まず3枚もアルバムをリリースされない。普通は1枚で終わりで、2枚目は概ねお蔵入りのパターンで90年代に発掘される感覚だが、EPでもあるかのように1968年に2枚、翌69年にもう一枚リリースしているスピード感。だからこそ3枚のアルバムがリリース出来たとも読めるが、アルバムのクォリティの高さも期待値の表れで、恐らくマーク・ボランの才能なら幾つでもこの手の曲は出来ただろうし、次々に持ってきただろう。それをどう料理して売り出すかはプロデューサー側の課題だったか。それでもふたりだけのデュオだからこれ以上は出来ない。個性的で面白いと同時に扱いに困るアーティストでもある。

 アルバム「My People Were Fair and Had Sky in Their Hair... But Now They're Content to Wear Stars on Their Brows」は何の変哲もなく、12弦アコースティックギターを掻き鳴らして歌うマーク・ボランとパーカッション、ボンゴ、ピクシーフォンと銅鑼を叩くだけのスティーブ・トゥックがそれだけを12曲立て続けに演奏している作品。曲の良し悪しやメロディの変化、アレンジの変化はさほど感じられず、どの曲も似通って来るのは至極当然の流れで、普通に聴けば飽きてくるハズだが、本作及びティラノザウルス・レックスの初期3枚でその飽きは来ない。不思議な事に飽きるどころか魅惑たっぷりに次々と聴きたくなる神秘性を孕んでおり、ひとつの宗教でもあるかのようにその音世界の美しさに惹き込まれていく。普通なら鍵盤で奏でるメロディラインもマーク・ボランの甲高く美しい声で呟かれ、歌声は宙を舞うかのようにフワフワと楽曲を通り抜けていき、12弦ギター独特の音の広がりと空間リバーブも含めてどこまでも縦横無尽に広がる音世界。そこを引き締めるかのようなパーカッションが軽やかに宗教的に気分を高揚させるので、双方相まってトリップしたくなるムードを生み出す素晴らしさ。リズムを次々と変えても歌声を変えても、プログレのようには聴かれず、アコースティック一本の展開だから気分で変わる曲のように自然に馴染み、聴くものを見事にその世界に誘う。アルバムの終盤に近づけば近づくほど完全にその世界の住人になりきり、もっと聴きたい欲求が募ってくるので既に重症なジャンキー状態。

 2004年にはモノラル、ステレオバージョン共セットにされたエキスパンデッド・エディションがリリースされ、その際には「Deborah」を始めとしたアルバム未収録シングルと幾つかのボーナス・トラック程度だったが、2015年に更なるデラックス・エディションがリリースされた際はもはや情報収集不可能なレベルまで拡大されている。モノステに加えてシングル集と別テイクアウトテイクインタビューとなんでもありの2CDバージョン。作風が同じなのでどこまで拡大してもひたすら聴いていられる自信はあるが、曲による違いをどこまで認識出来るかはかなり疑問となり、その意味では難易度の高いアルバムとなる。しかし聴いている内にどことなく聴き分けてしまうだろう。モノラル、ステレオバージョンのどちらが好みか、音の質感の違いを味わったり別テイクを聴けば、似たような作風でも幾つかのパターンを試していたとも分かってくる。ある種自然な楽器と歌だけで出来ているので馴染みやすい音で良い。





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フレ
Posted byフレ

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