戸川 純 - 20th Jun Togawa
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戸川 純 - 20th Jun Togawa (2000)

自分は日本のバンドや音楽シーンに詳しくないし、幾つかのバンドを除けばほぼ知らないに等しいとも言える。近年は日本独自の個性や音楽性を創り出す事で世界に羽ばたけるレベル感を持ったバンドやアーティスト、プロデューサーも数多く出て来ているので、日本の音楽を聴いていればシーンの先端や独自の音楽にも出会えるし、何と言っても日本語の分かりやすさがそのままアタマに刺さってくるインセンティブはデカいし直接的。ところがン十年前頃までは洋楽のパクリや洋楽をそのまま持ってきたり、曲調やアレンジやリズムなど全てモノマネ、と言うか洋楽の影響があって成り立っているものばかりで、自分が好きな古い日本のバンドでも、音楽的にオリジナリティがあるかと問われればそれはほとんどなく、洋楽のパクリや組み合わせでしかない。ただ、日本で最初期にそれを持ち込んでかなり図抜けたセンスでそれを出し切ったから凄いバンドだと呼ばれるようになったに過ぎない、とも言える。それも凄い事なので決してバカにしているワケでもなく、音楽的な革新性は欧米諸国から遅れる事ン十年でようやく追いついて追い越しているのが近年、と思ってる。ただ、いつの時代も凄く革新的なサウンドは出てくるもので、そういう刺激は常にも知っておきたいし感じていたい。そして日本のバンドやミュージシャンが洋楽のパクリをした事で、その時代の日本のリスナーはオリジナルではなく彼ら自身をカリスマと崇めてファンになるので、決して悪い話でもなく、それが普通ですらあった。後でオリジナルを聴いて、そういう事だったのか、と思う方が多いが、だからと言って本人を嫌いになる事もない。それは日本だけでなくドイツやイタリアでも同じだろうと思っているので、敢えて書けば革新性に富んだサウンドを出してくるのは常に英国が多かった、とも言える。
戸川純さんのデビュー20周年記念アルバムとして「20th Jun Togawa」がリリースされているが、恐るべき事に彼女が影響を受けたらしい楽曲が6曲カバーされて収録している。その中に先のSlapp Happyの「Casablanca Moon」が入っている事で衝撃を受けた。元々戸川純さんはデビュー時からメディア露出も多かったので「ヘンな女の子」として知られていたし、それでいてクレヴァーな面も見せるキュートな少女の印象もあった。日本のロックを漁ってみると彼女はもっと少女の頃からライブハウスに入り浸ってそのヘンさを振りまいていた有名な女の子だったらしく、特にテレビ向けにああしてたワケではなかったと知る。それでデビューアルバム「玉姫様」だ。その話はまたの機会に譲るが、この「蛹化の女」だってそのままパッヘルベルのカノンだ。ただ、凄いのはここまで有名な楽曲に歌詞が付いているので万人が所詮は…と思うハズの所を想像を更に超えまくる世界観を出していたからか、圧倒的に戸川純さんのイメージで塗られまくっている所。そのスタイルの個性は唯一無二で今となっては世界に一人で一つの世界を作り上げた人になっている。ただ、後年になってから思うのは世界で最初にアヴァンギャルドとポップとパンクを一緒にしちゃったアーティストだったのかもしれない。
話を戻すとその「20th Jun Togawa」に収められた楽曲は自分が知っているのが4曲、知らないのが2曲。知らない2曲はブリジット・フォンテーヌの「ラジオのように」とPhewの「終曲」。3曲目のヴァネッサ・パラディ「夢見るジョー」はなるほど可愛さをこうして表現していくのが戸川純風味となるのか。おフレンチの甘ったるさなどまるで皆無で尖りまくったノイズサウンドとも言えるギターが突き刺さる中、妙に無機質なリズムが流れていく不思議。散りばめられている宙を舞っているピアノが美しい。そしてそのノイズそのままから始められるパティ・スミスで有名ながらも作曲者はブルース・スプリングスティーンの「Because The Night」もパティ・スミス顔負けの前衛的アレンジが凄まじく、更に戸川純さんの歌声も破壊的且つ哀愁的と独特の世界を魅せてくれる。改めてどんな曲でもこういったノイズアレンジや無機質アレンジに仕上げられるものだと知った次第だが、それにしても破壊力が凄すぎる絶賛カバー。普通に歌や楽器を気にする方には聴けない芸術性が高すぎる美しき哀愁。この衝撃に続いてSlapp Happyの「Casablanca Moon」だが、どのように料理されるのだろうかと期待満々で待ち構えてみれば、タンゴ風味を昭和歌謡風味に仕立てての場末のキャバレー的イメージを強く感じさせるガレージサウンド、と言うのか案外音楽しているアレンジだが、一方の戸川純さんの歌い方は見事なまでに役に成り切った娼婦、いやそのキャバレーのステージ上で泣きながらスカートを噛みしめるかのような女性の歌声を想像してしまう演劇的な歌唱法。いつもながらそのひとり二役三役的な歌唱力は素晴らしいし、ここまで感情や情景が表現出来てしまう歌手も珍しいし、それで成り立っているのだから恐れ入る。そういえば日本語ではなかったな、と後になって気づくくらいに日本的なシチュエーションが妙に馴染んでいるカサブランカ・ムーン。最高です。最後はこれも期待のアヴァンギャルド曲のヴェルヴェッツの「All Tomorrow's Party」だが、これもまた何ともミニマルでノイジーで電子音楽的と言うかニコも後年こういう世界だったからそのヘンもあるのだろうか、戸川純さんカラーはそこまで出ていないが、それでは誰がやる、となったら他にはいないのもこれまた戸川純さん的。恐ろしいほどに耳に染み込む6曲しかないアルバムながらこのあたりのロックを知ってて、アートエッセンスの入った楽曲が嫌いじゃない人は、この衝撃を真正面から受け止められるだろう。素晴らしい。

自分は日本のバンドや音楽シーンに詳しくないし、幾つかのバンドを除けばほぼ知らないに等しいとも言える。近年は日本独自の個性や音楽性を創り出す事で世界に羽ばたけるレベル感を持ったバンドやアーティスト、プロデューサーも数多く出て来ているので、日本の音楽を聴いていればシーンの先端や独自の音楽にも出会えるし、何と言っても日本語の分かりやすさがそのままアタマに刺さってくるインセンティブはデカいし直接的。ところがン十年前頃までは洋楽のパクリや洋楽をそのまま持ってきたり、曲調やアレンジやリズムなど全てモノマネ、と言うか洋楽の影響があって成り立っているものばかりで、自分が好きな古い日本のバンドでも、音楽的にオリジナリティがあるかと問われればそれはほとんどなく、洋楽のパクリや組み合わせでしかない。ただ、日本で最初期にそれを持ち込んでかなり図抜けたセンスでそれを出し切ったから凄いバンドだと呼ばれるようになったに過ぎない、とも言える。それも凄い事なので決してバカにしているワケでもなく、音楽的な革新性は欧米諸国から遅れる事ン十年でようやく追いついて追い越しているのが近年、と思ってる。ただ、いつの時代も凄く革新的なサウンドは出てくるもので、そういう刺激は常にも知っておきたいし感じていたい。そして日本のバンドやミュージシャンが洋楽のパクリをした事で、その時代の日本のリスナーはオリジナルではなく彼ら自身をカリスマと崇めてファンになるので、決して悪い話でもなく、それが普通ですらあった。後でオリジナルを聴いて、そういう事だったのか、と思う方が多いが、だからと言って本人を嫌いになる事もない。それは日本だけでなくドイツやイタリアでも同じだろうと思っているので、敢えて書けば革新性に富んだサウンドを出してくるのは常に英国が多かった、とも言える。
戸川純さんのデビュー20周年記念アルバムとして「20th Jun Togawa」がリリースされているが、恐るべき事に彼女が影響を受けたらしい楽曲が6曲カバーされて収録している。その中に先のSlapp Happyの「Casablanca Moon」が入っている事で衝撃を受けた。元々戸川純さんはデビュー時からメディア露出も多かったので「ヘンな女の子」として知られていたし、それでいてクレヴァーな面も見せるキュートな少女の印象もあった。日本のロックを漁ってみると彼女はもっと少女の頃からライブハウスに入り浸ってそのヘンさを振りまいていた有名な女の子だったらしく、特にテレビ向けにああしてたワケではなかったと知る。それでデビューアルバム「玉姫様」だ。その話はまたの機会に譲るが、この「蛹化の女」だってそのままパッヘルベルのカノンだ。ただ、凄いのはここまで有名な楽曲に歌詞が付いているので万人が所詮は…と思うハズの所を想像を更に超えまくる世界観を出していたからか、圧倒的に戸川純さんのイメージで塗られまくっている所。そのスタイルの個性は唯一無二で今となっては世界に一人で一つの世界を作り上げた人になっている。ただ、後年になってから思うのは世界で最初にアヴァンギャルドとポップとパンクを一緒にしちゃったアーティストだったのかもしれない。
話を戻すとその「20th Jun Togawa」に収められた楽曲は自分が知っているのが4曲、知らないのが2曲。知らない2曲はブリジット・フォンテーヌの「ラジオのように」とPhewの「終曲」。3曲目のヴァネッサ・パラディ「夢見るジョー」はなるほど可愛さをこうして表現していくのが戸川純風味となるのか。おフレンチの甘ったるさなどまるで皆無で尖りまくったノイズサウンドとも言えるギターが突き刺さる中、妙に無機質なリズムが流れていく不思議。散りばめられている宙を舞っているピアノが美しい。そしてそのノイズそのままから始められるパティ・スミスで有名ながらも作曲者はブルース・スプリングスティーンの「Because The Night」もパティ・スミス顔負けの前衛的アレンジが凄まじく、更に戸川純さんの歌声も破壊的且つ哀愁的と独特の世界を魅せてくれる。改めてどんな曲でもこういったノイズアレンジや無機質アレンジに仕上げられるものだと知った次第だが、それにしても破壊力が凄すぎる絶賛カバー。普通に歌や楽器を気にする方には聴けない芸術性が高すぎる美しき哀愁。この衝撃に続いてSlapp Happyの「Casablanca Moon」だが、どのように料理されるのだろうかと期待満々で待ち構えてみれば、タンゴ風味を昭和歌謡風味に仕立てての場末のキャバレー的イメージを強く感じさせるガレージサウンド、と言うのか案外音楽しているアレンジだが、一方の戸川純さんの歌い方は見事なまでに役に成り切った娼婦、いやそのキャバレーのステージ上で泣きながらスカートを噛みしめるかのような女性の歌声を想像してしまう演劇的な歌唱法。いつもながらそのひとり二役三役的な歌唱力は素晴らしいし、ここまで感情や情景が表現出来てしまう歌手も珍しいし、それで成り立っているのだから恐れ入る。そういえば日本語ではなかったな、と後になって気づくくらいに日本的なシチュエーションが妙に馴染んでいるカサブランカ・ムーン。最高です。最後はこれも期待のアヴァンギャルド曲のヴェルヴェッツの「All Tomorrow's Party」だが、これもまた何ともミニマルでノイジーで電子音楽的と言うかニコも後年こういう世界だったからそのヘンもあるのだろうか、戸川純さんカラーはそこまで出ていないが、それでは誰がやる、となったら他にはいないのもこれまた戸川純さん的。恐ろしいほどに耳に染み込む6曲しかないアルバムながらこのあたりのロックを知ってて、アートエッセンスの入った楽曲が嫌いじゃない人は、この衝撃を真正面から受け止められるだろう。素晴らしい。
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