Slapp Happy - Acnalbasac Noom
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Slapp Happy - Acnalbasac Noom (1980)

大衆向け音楽が普及していくにつれ、それはポップスが大多数を占めるようになり、その裏側でもともとあった民族音楽的なものを大衆音楽と融合させていったもののひとつがロックとも言える。いつしかメロディが綺麗で歌が中心にある聴きやすい音楽、更に軽快でまさに一般大衆普及向けとなったものがポップスとして君臨しており、それは今でも相変わらずその構図ながら、追い掛けるようにロックも市民権を得てポップスと大差ない聴きやすさを獲得している。ビートルズがそのど真ん中とも言えるが、そこからの派生に対してもロックとポップスは明確に区分がある、のもある。ところがそうも簡単に言い切れない音楽を生み出す集団が出てくるのもロックやポップスの特性で、常に進化変化し続けているからボーダーラインを意識することなくチャレンジャーがどんどんと新しい世界を引っ提げて来てくれる。これが楽しいし、それこそ音楽の歴史が生きているとも言えるが、後の時代になってそれでは何がロックと言われたのだ、と問われた時によく分からない、と答えるしかないバンドも数多くある。故にロックの定義など実に曖昧でポップスの中にロックがある程度、かもしれない。それでもロックにこだわりたい自分はいるが。
Slapp Happyの1973年リリース作セカンド・アルバム「Casablanca Moon」は全くその代表的なアルバムサウンドで、バンドの出自はどう見てもロックそのもの、しかもメジャーではなくアンダーグランド界の猛者とも言うべき立ち位置にもある偏ったロックでしかないが、出されたアルバムの音はどこからどう聴いても軽快で魅惑的な超絶ポップスそのもので、普通にその手のチャートを飾ってもおかしくないレベルの完成度を誇る。マイナーな存在だろうから、分かりやすく書けば後のケイト・ブッシュと似た雰囲気を持ち合わせているし、日本で言うならば戸川純あたりか。ただ、Slapp Happyの方が一皮もふた皮も剥けた超絶さが存在しているからその筋ではアヴァンポップ=アヴァンギャルドなポップと言われて重宝されている。言い得て妙とはこの事で、まさにアヴァンギャルド、でもありながらポップそのまま。ボーカルのダグマー・クラウゼはドイツ人ながらもこのコケティッシュな歌を聴かせてくれる。ついでに書けばその他のメンバーはイギリス人とアメリカ人だ。その3人でスタートしたバンドがこの領域を牛耳ってしまっている不思議。本人たちはそこまで深く考えていなかったと思うが、結果的にはひとつのジャンルを作り上げてしまった妙なバンド。
有名な話だが、ファウストとレコーディングした本作のオリジナルバージョンをもっとポップに仕上げてくれとの依頼があったためご破産になり、代わって作られたのが「Casablanca Moon」だが、1980年になりそのオリジナルバージョンが「Acnalbasac Noom」としてリリースされている。見事なまでに全曲が被っているのは当然ながら若干曲順が異なるので、多少の意図の違いは出てきたのだろう。それにしても珍しいパターンで、同じアルバムのアレンジ違いがそのままリリースされ、そのどちらもが評価が高く、と言うかそれはSlapp Happyの評価が高いから当然だが、その両者のアルバムの違いを味わいながらいずれも楽しめる素晴らしさ。面白いのはロックをそれなりに聴いてきたリスナーは大抵が「Acnalbasac Noom」の方を好むらしく、特にファウストがバックにいるからとの情報がなくとも音を聴いていてこちらの方が耳に馴染みやすくロック的なのだろう。ただ、この手の作風を聴いた事のない輩にオススメするなら当然「Casablanca Moon」の方が耳慣れた音色で聴きやすいだろう。その辺りはきちんとポップな風味に仕上げてくれとの依頼を忠実に守ってアルバムをリリースしただけの事はある。バックを担ったファウストのメンバーが納得したかどうか、それともそりゃ当然ロックになっちゃうだろ、と笑って済ましたか不明だが、結果的にはファウストバージョンもリリースされて、評判が良いのだから納得出来ただろう。自分もこれまでに何度となくこの両アルバムを聴き比べたり、何が違うのかなど漁ってみたり、今でも両方のアルバムを順番に聴きながら改めてその妙技を実感しているが、明らかに「Acnalbasac Noom」の方が好みだ。「Casablanca Moon」はどうも派手に着飾っている印象を持ってしまうが、「Acnalbasac Noom」はどこか退廃的なロック感があるからだと思う。実際そこまで音の違いは多くはないようだが、これはもうロックバンドファウストと英国のセッション・ミュージシャンの奏でる演奏の根本の違いが大きいが故に、それだけロックというのは人に宿る、と思っている。
タイトル曲「Casablanca Moon」は妙なタンゴとして知られているが、「Acnalbasac Noom」で聴かれる全曲は「Casablanca Moon」ほど曲の彩りの違いを見せていない。Slapp Happyなるバンドのどこか狂気じみた雰囲気は凄まじく尖っている所で聴けるが、そこはやはりファウストのバックと見事に相まって一つのバンド、アルバムとして出来上がっているから、楽曲の違いや当然曲調の違いもあるが、バンドの音だ。一方の「Casablanca Moon」はやはりひとつづつの曲がバラバラな印象もあり、その分カラフルに仕上がっているとの印象。こうして何度も両者を聴いていると全く同じメロディで歌われているダグマー・クラウゼの歌メロだけが残されていて他が全て違うのは当たり前だが随分と面白い。そのダグマー・クラウゼの歌でも曲によっては熱量やトーンが違うのでバックの音に合わせているのだろう。当然「Acnalbasac Noom」の方がそのコントロールが自然、と言うかバンドのボーカルとしての姿に映る。それにしてもどの曲もどの曲も全く超絶ポップで聴けば聴くほどにどこがロックなのか、と悩まされるが明らかにアヴァンギャルドポップを奏でたロックとしか言えないのも不思議。カンタベリーシーンのポップさ加減も似たような事を思うが、これだけポップな歌メロを奏でるのだからもっと知られていってほしいものだ。実際そうならない所こそロックでもあるか。

大衆向け音楽が普及していくにつれ、それはポップスが大多数を占めるようになり、その裏側でもともとあった民族音楽的なものを大衆音楽と融合させていったもののひとつがロックとも言える。いつしかメロディが綺麗で歌が中心にある聴きやすい音楽、更に軽快でまさに一般大衆普及向けとなったものがポップスとして君臨しており、それは今でも相変わらずその構図ながら、追い掛けるようにロックも市民権を得てポップスと大差ない聴きやすさを獲得している。ビートルズがそのど真ん中とも言えるが、そこからの派生に対してもロックとポップスは明確に区分がある、のもある。ところがそうも簡単に言い切れない音楽を生み出す集団が出てくるのもロックやポップスの特性で、常に進化変化し続けているからボーダーラインを意識することなくチャレンジャーがどんどんと新しい世界を引っ提げて来てくれる。これが楽しいし、それこそ音楽の歴史が生きているとも言えるが、後の時代になってそれでは何がロックと言われたのだ、と問われた時によく分からない、と答えるしかないバンドも数多くある。故にロックの定義など実に曖昧でポップスの中にロックがある程度、かもしれない。それでもロックにこだわりたい自分はいるが。
Slapp Happyの1973年リリース作セカンド・アルバム「Casablanca Moon」は全くその代表的なアルバムサウンドで、バンドの出自はどう見てもロックそのもの、しかもメジャーではなくアンダーグランド界の猛者とも言うべき立ち位置にもある偏ったロックでしかないが、出されたアルバムの音はどこからどう聴いても軽快で魅惑的な超絶ポップスそのもので、普通にその手のチャートを飾ってもおかしくないレベルの完成度を誇る。マイナーな存在だろうから、分かりやすく書けば後のケイト・ブッシュと似た雰囲気を持ち合わせているし、日本で言うならば戸川純あたりか。ただ、Slapp Happyの方が一皮もふた皮も剥けた超絶さが存在しているからその筋ではアヴァンポップ=アヴァンギャルドなポップと言われて重宝されている。言い得て妙とはこの事で、まさにアヴァンギャルド、でもありながらポップそのまま。ボーカルのダグマー・クラウゼはドイツ人ながらもこのコケティッシュな歌を聴かせてくれる。ついでに書けばその他のメンバーはイギリス人とアメリカ人だ。その3人でスタートしたバンドがこの領域を牛耳ってしまっている不思議。本人たちはそこまで深く考えていなかったと思うが、結果的にはひとつのジャンルを作り上げてしまった妙なバンド。
有名な話だが、ファウストとレコーディングした本作のオリジナルバージョンをもっとポップに仕上げてくれとの依頼があったためご破産になり、代わって作られたのが「Casablanca Moon」だが、1980年になりそのオリジナルバージョンが「Acnalbasac Noom」としてリリースされている。見事なまでに全曲が被っているのは当然ながら若干曲順が異なるので、多少の意図の違いは出てきたのだろう。それにしても珍しいパターンで、同じアルバムのアレンジ違いがそのままリリースされ、そのどちらもが評価が高く、と言うかそれはSlapp Happyの評価が高いから当然だが、その両者のアルバムの違いを味わいながらいずれも楽しめる素晴らしさ。面白いのはロックをそれなりに聴いてきたリスナーは大抵が「Acnalbasac Noom」の方を好むらしく、特にファウストがバックにいるからとの情報がなくとも音を聴いていてこちらの方が耳に馴染みやすくロック的なのだろう。ただ、この手の作風を聴いた事のない輩にオススメするなら当然「Casablanca Moon」の方が耳慣れた音色で聴きやすいだろう。その辺りはきちんとポップな風味に仕上げてくれとの依頼を忠実に守ってアルバムをリリースしただけの事はある。バックを担ったファウストのメンバーが納得したかどうか、それともそりゃ当然ロックになっちゃうだろ、と笑って済ましたか不明だが、結果的にはファウストバージョンもリリースされて、評判が良いのだから納得出来ただろう。自分もこれまでに何度となくこの両アルバムを聴き比べたり、何が違うのかなど漁ってみたり、今でも両方のアルバムを順番に聴きながら改めてその妙技を実感しているが、明らかに「Acnalbasac Noom」の方が好みだ。「Casablanca Moon」はどうも派手に着飾っている印象を持ってしまうが、「Acnalbasac Noom」はどこか退廃的なロック感があるからだと思う。実際そこまで音の違いは多くはないようだが、これはもうロックバンドファウストと英国のセッション・ミュージシャンの奏でる演奏の根本の違いが大きいが故に、それだけロックというのは人に宿る、と思っている。
タイトル曲「Casablanca Moon」は妙なタンゴとして知られているが、「Acnalbasac Noom」で聴かれる全曲は「Casablanca Moon」ほど曲の彩りの違いを見せていない。Slapp Happyなるバンドのどこか狂気じみた雰囲気は凄まじく尖っている所で聴けるが、そこはやはりファウストのバックと見事に相まって一つのバンド、アルバムとして出来上がっているから、楽曲の違いや当然曲調の違いもあるが、バンドの音だ。一方の「Casablanca Moon」はやはりひとつづつの曲がバラバラな印象もあり、その分カラフルに仕上がっているとの印象。こうして何度も両者を聴いていると全く同じメロディで歌われているダグマー・クラウゼの歌メロだけが残されていて他が全て違うのは当たり前だが随分と面白い。そのダグマー・クラウゼの歌でも曲によっては熱量やトーンが違うのでバックの音に合わせているのだろう。当然「Acnalbasac Noom」の方がそのコントロールが自然、と言うかバンドのボーカルとしての姿に映る。それにしてもどの曲もどの曲も全く超絶ポップで聴けば聴くほどにどこがロックなのか、と悩まされるが明らかにアヴァンギャルドポップを奏でたロックとしか言えないのも不思議。カンタベリーシーンのポップさ加減も似たような事を思うが、これだけポップな歌メロを奏でるのだからもっと知られていってほしいものだ。実際そうならない所こそロックでもあるか。
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