King Crimson - Earthbound (40th Anniversary Edition)

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King Crimson - Earthbound (40th Anniversary Edition) (1972)
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 ロックバンドはライブが命、ライブを生で見て聴ければそのバンドの良し悪しと本物か偽物か、上手いか下手か、バンドがどういうエネルギーとパワーを持っているかいないか、のすべてが分かってしまう、いや、それが分からなきゃしょうがない。だからロックバンドはライブがつまらなければアルバムがどれだけ凄くてもロックではない単に音楽集団と化する。音楽集団でも当然素晴らしい作品をリリースし続けるバンドもあるので、ロック的にはダメでもセールスや評論家的には受けが良くなる。一方ライブが無茶苦茶凄くてもその凄さがアルバムなり伝聞なりで伝わらなければなかなかセールスや人気に結びつかない例もあり、なかなか難しい所でもあろう。その代表的な事例ではロリー・ギャラガーやモット・ザ・フープルがあり、ミュージシャン内には人気があったりライブの凄さは伝わってくるもののセールスにはなかなか繋がらなかったようだ。もっとも70年代当時の話なので今ではその逸話も含めて色々と伝説にもなっているので、ロックファンならば何かとその凄さも聞いている事だろう。

 King Crimsonが1972年6月にリリースした超問題作「Earthbound」はライブアルバムだ。クリムゾン史で初のライブアルバムなのでその凄まじさを伝えるには気合の入りまくった作品だったろうし、バンドの白熱ぶりとライブバンドのパワーとエネルギーを伝えるに十二分な算段を講じてのリリースを目論んだ、としよう。そこで1972年2月からのUSツアーの全貌は概ねカセットテープに録音されており、それはバンドのメモ用だったかもしれないし、フリップ卿の偏執的な記録魔気質から残されたのかもしれないが、結果的にはこのツアーでこのメンバーでのキング・クリムゾンは解体する事が決まってからのライブの数々なのでここまでのライブアルバムになったとも思われる。一般的に音が悪くて有名なライブアルバムで、ロックの歴史的には問題作として知られるが、今更それを言ってもしょうがない。とにかく凄まじいライブアルバムが当時の背景から生み出されて記録がきちんとリスナーの耳に届けられる事実が重要だ。アルバム「Lizard」を録音したメンバーも離脱していき、フリップ卿 vs 他のメンバー、即ちボズ・バレル、メル・コリンズ、イアン・ウォーレスとの図式で行われた本ツアーは元来のクリムゾンが描く破壊的構築美の姿には程遠いファンキーなアドリブプレイを含むやけっぱちに歌っている声すら聴こえてくる、逆説的にはここでしか聴かれないクリムゾンのライブだ。なにせロックの基礎であるブルースに立ち戻りたがっているメンバーとブルースには無縁のクラシカル畑に進もうとしているフリップとの対立がそもそも無理があるし、その融合の不思議さが売りかもしれないが、到底そこには至らず、ひたすらにやけっぱちな破壊性。それがカセットテープで録音されたソースからレコードに収録されているからそもそもS/N比不足や音圧不足、バランスにしてもライブの時に出されていたままで録音されているから良い悪いの話ではない。ただ、それこそが生々しいライブそのままの記録で、どこも作られていないライブアルバムはこの時代は逆に珍しかったハズ。それでこの迫力がそのまま伝わってくるので貴重な瞬間の記録を聴ける。当時から今に至るまで音の悪さで話題にはなるが、ライブの中味的にはどこでもいつの時代でも名盤扱いされるライブアルバムなのも面白い評価だ。故に音の悪さとライブそのものの良し悪しは別のものと意識されるようになったのも本作のおかげ、即ちブートレッグでも同じことが言われるようになり、氾濫していったとも言えるか。

 ライブそのものの流れや展開はともかくながら、本作は冒頭から「21世紀の精神異常者 」が記録され、良く知ったるこの曲の肉体派クリムゾンが演奏するとこうなる的に凄まじいブチ切れ具合が聴ける、ここまで破壊的なライブはここでしか聴けないだろう凄まじさ。この演奏を好き嫌いで語る方がおかしい。ロックはこういうものだ、どこが悪い、と言わんばかりの、本人たちも想像しなかった白熱のプレイを味わえるし、なんだかんだ言ってもとんでもない演奏。続く「Peoria」は実は「Groon」と題されたインプロ楽曲の前半部分を抜き出して収録していたようで、その繋がりについては2017年にリリースされた「40周年記念盤」のExtendedバージョンで聴けるので興味ある方はこのとんでもないボックスセットを入手して聴いてみてほしい。そこまでクリムゾンに突っ込みたくないとの輩も多いと思うが、この演奏を聴いてて、妙に中途半端な演奏とフェイドアウトで単なるアドリブプレイの抜き出しがなるほど、と判明するすっきりさはある。同じようなインプロの訳のわからなさを抜き出しての収録はアルバムタイトルともなっている「Earthbound」もあるが、こちらは端的に記録されたインプロの瞬間で、この辺りの妙技が本作「Earthbound」を更に訳のわからないライブアルバムにしている。当時45分程度しかアルバムに収録出来なかった関係上、どうしてもぶった切りせざるを得なかったライブの断片、ハイライト部分だけを切り出してレコードにしたからこうなっているのだろうし、2枚組できちんと収録してリリースするには音が悪すぎる、またそこまでこのインプロをレコードで聴いてくれるリスナーも想像出来なかったからだろう。だから故、「40周年記念盤」ではCDに3曲追加、DVDには更に4曲追加されてリリースされており、その音の悪さからデラックス・エディションとしてはリリースされていないが、「SAILORS' TALES (1970-1972) 」Boxの一環としてライブそのものが概ね丸ごと収められているので逆にフルバージョンで聴けてしまう。その中のひとつに「Earthbound」も拡張盤で入っているので一般的には何がなんだか分からないレベルだが、ライブアルバムの元となったソースが丸ごと聴けるのだから「Earthbound」はもう要らないだろう、との見解もあり得る。音源の価値的にはその通りとなるが、やはりこのアルバムが初めて市場にリリースされた時の衝撃、自分が最初にこのアルバムを耳にした時、と強烈なインパクトを放っていたので、存在理由は十二分にある。正直言って、冒頭の「21世紀の精神異常者 」から後はバンドのインプロがアドリブプレイの迫力と共に物凄いハイテンションな熱気で聴かれ、その凄まじさに慄くものの曲としての体は成していない。ただただバンドのぶつかり合いを聴かせてくれているライブアルバム、だからこそのライブアルバム。

 久しぶりにこのぶっ飛びライブ・アルバムに聴き入ったが、昔も今も感じた事は変わらず、ブチ切れの冒頭から混乱と混沌の演奏のぶつかり合い、そのありのままの姿をフリップ卿はキング・クリムゾンの生々しいライブとして残したかったのだろう。二度とこのようなバンド形態をやる気はなかったから、とも言えるし、だからこそ貴重なシーンの記録と感じたのかもしれない。この時点では多分こんな凄い事はもう出来ない、との意向もあったと想像する。ところが翌年以降のキング・クリムゾンは更に完成度高い構築美でライブプレイを繰り広げる事になり、更なる高みに上り詰めていく。



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フレ
Posted byフレ

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