David Bowie - Low (Remastered)
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David Bowie - Low (Remastered) (1977)

1977年にリリースされたDavid Bowieの傑作と誉れ高い「Low」。ベルリン三部作の最初のアルバムとして、またヨーロッパに回帰したボウイの鋭利なセンスが解き放たれた作品としても知られているし、イーノが作り上げた作品としても知られている。ボウイを聴き始めてしばらくするとこの辺りの作品にぶつかるが、デヴィッド・ボウイって歌手なのにインスト作品があるのはどういう事だ、何も演奏していないのにボウイの作品とは如何に、とも思っていた。今思えばアイドル歌手とボウイの違いをさほど認識していなかったのかもしれないが、ボーカリストがアルバムにインスト入れる不思議さは当分続いた気がする。音楽家、ミュージシャンのボウイが戦慄のサウンドに出会ってインストを作り上げて収録していると認識すればアルバムの聴き方が変わるし、ボウイの位置付けも変わるので、早いウチにそういう聴き方捉え方になれればもっとこの辺のアルバムを楽しめるようになる。
アルバムを流して早速インストが始まり、ボウイの歌は出てこないので何だろう、と首を傾げながら聴く事になるが、作品の鋭さは聴き手のセンスが問われるような作品。本アルバムのユニークな点はこれだけユーロピアンなムードと回帰作品、ベルリンレコーディングと言われるが、デニス・デイヴィスもジョージ・マレイもカルロス・アロマーも皆アメリカンな黒人で超ファンキー野郎がバックを固めているあたりだ。それでいてイーノとボウイが英国人で、楽曲とアルバムを仕切っているからこの不思議なサウンドが仕上がったのだろう。ユーロピアンで退廃的なムードなのに歯切れが良くソリッドな側面もあるのは、実はファンキーなメンツが要因だが、それでもそのままファンキーになれない曲なのでこうなった、と。イーノやボウイが狙ってその面子を従えて作ったとも思えず、時代の流れからしてのバンドの面々だったからたまたまそういう面子で録音した、してみたら当然プロだし面白いサウンドになったからそのまま続けた、とも見れる。いずれにしても稀代の傑作として取り上げられるのはセンスに加えて運もあり、偶然の産物によるタイミングもあっただろうか、もっとも根本的なサウンドの美しさは両者の才能でしかないが。
自分的にはB面の「Warzawa」からの流れの方が好きだから、アルバム時代はこちらから聴いてA面を聴いていた事もあった。B面の方がソリッドで冷淡な雰囲気が強く、より一層ヨーロッパ感を募らせていたしそれこそインストばかりだったからそもそも音楽として聴いていたのだろう。「Warzawa」でユニークなのはさほど入って来ない歌、と言うよりもボーカリゼーション的な歌がイタリアンな雰囲気しているあたりで、鳴ってるバックサウンドは鍵盤だけなのにこのムードは他では再現出来ないだろう見事なセンス。同時代のジャーマン・ロックの影響が大きいのは一目瞭然だが、ボウイと言うポップアイコンがここまで取り組んでしまう所が先鋭的な才能。当時は売れるか売れないか分からないとレーベル側が困惑したらしいが、それも当然だろう。到底ポップシーンにいられるような音楽ではなかったし、ジャーマン・ロックなどほぼ誰も聴いてなかっただろうし、と言われる中でさすがにボウイはチャートにアルバムを送り込み、この手の音楽が市場に求められる事を証明した。
A面は先の黒人ファンキーな面子を揃えてまだ軽快なサウンドやチャートインさせる「Sound and Vision」や「Be My Wife」などでキャッチーに仕上げている面もあるので、決して実験的作品だけで彩られたアルバムではない。ただ、B面の鋭利な音使いとセンスがあまりにも研ぎ澄まされているので突出した作品として取り上げられるようだ。ボウイのリスナーは感度が高いセンスの良い人物が多いので、こういった芸術性の高いサウンドは割と好まれるし、その意味で恐らく本アルバムが苦手というリスナーも実は多くないのだろう。随分と久しぶりにアルバム丸ごとをじっくりと聴いたが、やはりB面の美しさ鋭さが素晴らしい。圧倒的に光っているセンス、音世界、繊細な空間の演出とホントに凄い。A面の営業曲など忘れ去ってしまうくらいにB面の世界に連れ去られていってしまった。面白いのはこれでジャーマン・ロックのこの辺の作品を聴いてもこういう感動には至らないあたりで、その妙なセンスの違いこそがボウイの個性だろうか、それを引き出したイーノの才能だろうか、いずれにしてもこの時代にこの面子が揃っての作品、素晴らしい。本当に素晴らしい。

1977年にリリースされたDavid Bowieの傑作と誉れ高い「Low」。ベルリン三部作の最初のアルバムとして、またヨーロッパに回帰したボウイの鋭利なセンスが解き放たれた作品としても知られているし、イーノが作り上げた作品としても知られている。ボウイを聴き始めてしばらくするとこの辺りの作品にぶつかるが、デヴィッド・ボウイって歌手なのにインスト作品があるのはどういう事だ、何も演奏していないのにボウイの作品とは如何に、とも思っていた。今思えばアイドル歌手とボウイの違いをさほど認識していなかったのかもしれないが、ボーカリストがアルバムにインスト入れる不思議さは当分続いた気がする。音楽家、ミュージシャンのボウイが戦慄のサウンドに出会ってインストを作り上げて収録していると認識すればアルバムの聴き方が変わるし、ボウイの位置付けも変わるので、早いウチにそういう聴き方捉え方になれればもっとこの辺のアルバムを楽しめるようになる。
アルバムを流して早速インストが始まり、ボウイの歌は出てこないので何だろう、と首を傾げながら聴く事になるが、作品の鋭さは聴き手のセンスが問われるような作品。本アルバムのユニークな点はこれだけユーロピアンなムードと回帰作品、ベルリンレコーディングと言われるが、デニス・デイヴィスもジョージ・マレイもカルロス・アロマーも皆アメリカンな黒人で超ファンキー野郎がバックを固めているあたりだ。それでいてイーノとボウイが英国人で、楽曲とアルバムを仕切っているからこの不思議なサウンドが仕上がったのだろう。ユーロピアンで退廃的なムードなのに歯切れが良くソリッドな側面もあるのは、実はファンキーなメンツが要因だが、それでもそのままファンキーになれない曲なのでこうなった、と。イーノやボウイが狙ってその面子を従えて作ったとも思えず、時代の流れからしてのバンドの面々だったからたまたまそういう面子で録音した、してみたら当然プロだし面白いサウンドになったからそのまま続けた、とも見れる。いずれにしても稀代の傑作として取り上げられるのはセンスに加えて運もあり、偶然の産物によるタイミングもあっただろうか、もっとも根本的なサウンドの美しさは両者の才能でしかないが。
自分的にはB面の「Warzawa」からの流れの方が好きだから、アルバム時代はこちらから聴いてA面を聴いていた事もあった。B面の方がソリッドで冷淡な雰囲気が強く、より一層ヨーロッパ感を募らせていたしそれこそインストばかりだったからそもそも音楽として聴いていたのだろう。「Warzawa」でユニークなのはさほど入って来ない歌、と言うよりもボーカリゼーション的な歌がイタリアンな雰囲気しているあたりで、鳴ってるバックサウンドは鍵盤だけなのにこのムードは他では再現出来ないだろう見事なセンス。同時代のジャーマン・ロックの影響が大きいのは一目瞭然だが、ボウイと言うポップアイコンがここまで取り組んでしまう所が先鋭的な才能。当時は売れるか売れないか分からないとレーベル側が困惑したらしいが、それも当然だろう。到底ポップシーンにいられるような音楽ではなかったし、ジャーマン・ロックなどほぼ誰も聴いてなかっただろうし、と言われる中でさすがにボウイはチャートにアルバムを送り込み、この手の音楽が市場に求められる事を証明した。
A面は先の黒人ファンキーな面子を揃えてまだ軽快なサウンドやチャートインさせる「Sound and Vision」や「Be My Wife」などでキャッチーに仕上げている面もあるので、決して実験的作品だけで彩られたアルバムではない。ただ、B面の鋭利な音使いとセンスがあまりにも研ぎ澄まされているので突出した作品として取り上げられるようだ。ボウイのリスナーは感度が高いセンスの良い人物が多いので、こういった芸術性の高いサウンドは割と好まれるし、その意味で恐らく本アルバムが苦手というリスナーも実は多くないのだろう。随分と久しぶりにアルバム丸ごとをじっくりと聴いたが、やはりB面の美しさ鋭さが素晴らしい。圧倒的に光っているセンス、音世界、繊細な空間の演出とホントに凄い。A面の営業曲など忘れ去ってしまうくらいにB面の世界に連れ去られていってしまった。面白いのはこれでジャーマン・ロックのこの辺の作品を聴いてもこういう感動には至らないあたりで、その妙なセンスの違いこそがボウイの個性だろうか、それを引き出したイーノの才能だろうか、いずれにしてもこの時代にこの面子が揃っての作品、素晴らしい。本当に素晴らしい。