カルメン・マキ&OZ - Live
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カルメン・マキ&OZ - Live

まだ十代の頃に何で知ったのか聴いたのかその頃には既に知ってて聴いてた。最初に買ったのは確かファーストアルバム「カルメン・マキ&OZ」を中古で入手したが、高校生頃だったと思う。その頃の少ない小遣いから買われる厳選されたレコードのウチの一枚だったのだから凄く気になってたのだろうし、その対価は無茶苦茶還ってきているのも当然だが、その頃から聴いてた。その後のアルバムはなかなか見つけられなくてセカンド・アルバム「閉ざされた町」をちょっとしてから見かけて入手して、次に「Live」を買った記憶がある。それも同じような頃だから物凄い衝撃を受けた。そこからずっと好きで何度も機会あると聴いていたり、聴き直したり、ふと思い出して聴いたりしているカルメン・マキ&OZのアルバム。昨年初めてその勇姿を生で見られて、あまりにも感動して涙しながら見ていたのも記憶に新しいが、今年の11月も同じような時期に再結成ライブをクラブチッタでやるらしいので、どうしようかと少々考えている所。昨年のインパクトがあまりにも強くてもうあの夢の瞬間と同じ感動は味わえないのは確かだから、と言うのが躊躇している理由だが、恐らく行けばもう少し冷静に感動できるライブの見方にもなると思っている。
2005年の11月にもカルメン・マキ&OZをブログに書いていたので、その15年後の本日、もう少しじっくりと書き溜めておこうと改めて何度目かの本作を堪能しているが、ただただ感動の嵐。楽曲を知っているから、と言う理由ではなく、ライブの感情がそのまま聞き手に伝わってくる魂の触れ合い感が実に生々しいから、そのパワー、エネルギー、繊細さ、想い、のような言い表せないライブならではの空気感に感動しているのだと思う。当然ながらアナログ録音なのでそのアナログ感がそういうぬくもり感のような空気を感じさせてくれるのかもしれない。通して聴いていて、まず、その雰囲気と音に身を任せられる感覚が良かったが、聴いていたのが自分でアナログレコードから落としたデジタルソースだったからか。割とそういう音源もMacの中に残っていて、すっかり忘れて聴いているとアナログ感を味わえて面白い。
アルバム「Live」は1977年5月の日比谷野外音楽堂と10月の厚生年金会館の正に最後のライブが正式録音されていたようで、そこからの抜粋ベストバージョンが収録されているのだろうが、アナログ時代で2枚組レコード、A面3曲、B面2曲、C面2曲、D面2曲、って流石にこの時代にしても一曲が長尺すぎる。それこそカルメン・マキ&OZのライブの醍醐味だし、この時代あたりまでのロックの潮流だったが、こうして色々な知識を得た今になると、楽曲はUriah HeepやBlack Sabbath、King Crimsonあたりがミックスされてドロドロの重みを持って出されているのも分かる。シゲさんのベースにしてもジョン・エントウィッスルやジョン・ウェットン、ゲイリー・セイン、ジャック・ブルース的な影響が物凄く大きくて、ああいうロックベースこそがロック、ハードロック、と言わんばかりの自己主張だし、鍵盤の音色などはモロにメロトロンも含めてこの時代の先端の一歩手前辺りの音色が上手く使われている。案外春日さんのギターがオリジナルな風味を保っていて、ハードなエッセンスはあるものの、ストラトサウンドでのヘヴィサウンドなので、その分スッキリとしたヘヴィさになり独自性が現れていた気がする。その微妙なバランスの上に成り立っていながらも明らかに独自性、個性を大きく放っていたのは当然ながらのカルメン・マキその人の歌唱力も日本語も、そして歌詞の面白さ深さ言葉の使い方、内容の深さでこの時代の日本のロックの中では圧倒的な存在感だった。知名度もあったし、注目度も高かっただろうし、それでいてこのサウンドで見れば本物のロックそのまま、本場のロックにヒケを取らない日本のロックバンドの姿。素晴らしい。
ライブはジミヘンの「アメリカ国家」からの影響か、「君が代」のソロプレイが鳴り響き、イントロサウンドとばかりに「午前1時のスケッチ」で緩やかに場をなごませての登場、そしてウネリを会場に叩き込み、温めて進んでいく。まだまだ始まりを予感させる序章でしかない始まり方で期待感を煽る。そのまま続けて「シゲのソロ」、即ちヘヴィに歪んだベースソロがこれでもかとばかりに響き渡り、ベース独特のウネウネドライブ感が会場を制圧、そう、制圧という単語が似合う、正に圧倒して場を抑え込みながらの「崩壊の前日」へ突入すれば今度はマキさんの歌声がこれでもかと響き渡り、バンドの凄まじさが聴衆を襲い独特のグルーブ感、決して速さではなく重さ、それもドライブする重さとオルガンが心地良い。息を付く間もなく怒涛の「六月の詩」で更にユラユラと楽曲に身を任せるかのような一体感で魅了する。静と動の美しさ、構築美を芸術品のように披露しながら迫力も優しさも見せるひとつの物語を見せてくれる名曲には惚れ惚れする。その余韻に浸る間もなく、さらに名曲が続き「Image Song」が歌われる。これほどの歌唱力が生々しく感情を持って訴えかけてくる素晴らしさ、それに加えてどうしても直接入ってくる日本語の歌詞に誘われてハマり込んでしまう自分。これほどの美しさを持つ曲が幾つも幾つもあるバンドもそうそうないだろうし、いつ聴いてもヘヴィさを味わえる。決して片手間には聴けない真のロックバンドの歌、楽曲、そして魂込めたプレイが素晴らしい、素晴らしい以外の何者でもない。ようやく軽やかになるかとの「あどりぶ」は確かにアドリブプレイだが、基本的には「とりあえずR&R」がベースになっている楽曲で、こういう明るさや楽しさも当然ロックバンドだから持っているのかとある種安心する曲で、ここではバンドのリラックスしたプレイを味わえる。
続いて終盤のどれも外せない名曲群と言うだけでなく、この構成による楽曲の流れの美しさ素晴らしさバンドのパワー、ひとつの世界を創り上げている瞬間の記録、どこを斬っても息を付く間もない程にスリリングで緊張感が溢れている。「閉ざされた街」のクリムゾンスタイルはそのままだが、見事にバンドの音として昇華されているからエッセンスはそのままにどこの誰でもないオリジナルなハードプログレッシブ超絶歌唱サウンドが組み上げられて展開されていく。最後の熱唱シャウトから軽やかにピアノが流れて昔のマキさんのように謳われて始まる「26の時」もそれでいて恐ろしいほどのグルーブ感が曲と歌唱を引っ張っていき、見事なオルガンハードへと突き進み、更にシゲさんのベースの凄さが身に染みる音圧感。「空へ」の一言から始まる名曲は仄かなピアノの音色とマキさんの力強い歌声に加えての超絶ヘヴィサウンドが襲いかかる、正にマキOZのやりたい放題パワフルプレイが全ての楽器プレイヤーから解き放たれ、横乗りに横乗りのドライブ感で心地良く夢を見ているかのような波に乗せられていく。そこへ怒涛の17分超えにもなる文句なしの代表曲「私は風」が襲いかかる。静と動、起承転結、全てが詰め込まれた曲展開に加えてのアドリブプレイ、いつ聴いても曲中のマキさんの「シビア…」の呟きが心に沁みる、そこからの抒情詩は一方的なリスナーの想いかもしれないが、感極まっての緊張感の高さ、集中力の高さ、会場の一体感を感じられる。勝手にラストライブ、だと思い込めばその想いも余計に募るものだし、悲壮感が漂っているとも捉えられるし、いつもこのテンションのライブだったのだからとも言えるが、とにかく凄まじい、歌唱も演奏もロックの熱気も会場の熱さも全てが最高、そして長い長いエンディングからの終焉。記録に残されていて良かった、ありがたい、こういう演奏が聴けるからライブ・アルバムは止められないし、あって良かった。もしあるなら、この「Live」も二日間フルフルでの発掘ソースをそのままリリースしてほしいと切に願う。他のライブソースでも良いが、もっともっとこんな命削っているかのようなライブを聴いてみたい。
当時のバンドでは珍しく、照明も機材も自前のものを常に運びながらライブを行っていたらしく、そのこだわりが音だけでなく、魅せる意味でも働いていたらしいが、どこか命懸けてます感が強いように思えてしまったのは聞き手の一方的な思い込みだろうか。昨年ライブで見た時にはそんな悲壮感など当然なく、ヘヴィで疲れるバンドだけど明るく楽しくやろう、的にプレイして歌っていたようなのでそれもこの時代の苦労を共に歩んできたからこその信頼感からだろう。見れて、そして感じて、そして涙出来たのはホントに良かった。やはり行けるウチにまた行っておくべきだな。何度も何度も涙して感動して聴き続けている、そして一方では何度も聴きたくないヘヴィさと対峙もしながらの素晴らしきライブアルバム。日本のロック・バンドでは今でも最高峰に位置するカルメン・マキ&OZ。

まだ十代の頃に何で知ったのか聴いたのかその頃には既に知ってて聴いてた。最初に買ったのは確かファーストアルバム「カルメン・マキ&OZ」を中古で入手したが、高校生頃だったと思う。その頃の少ない小遣いから買われる厳選されたレコードのウチの一枚だったのだから凄く気になってたのだろうし、その対価は無茶苦茶還ってきているのも当然だが、その頃から聴いてた。その後のアルバムはなかなか見つけられなくてセカンド・アルバム「閉ざされた町」をちょっとしてから見かけて入手して、次に「Live」を買った記憶がある。それも同じような頃だから物凄い衝撃を受けた。そこからずっと好きで何度も機会あると聴いていたり、聴き直したり、ふと思い出して聴いたりしているカルメン・マキ&OZのアルバム。昨年初めてその勇姿を生で見られて、あまりにも感動して涙しながら見ていたのも記憶に新しいが、今年の11月も同じような時期に再結成ライブをクラブチッタでやるらしいので、どうしようかと少々考えている所。昨年のインパクトがあまりにも強くてもうあの夢の瞬間と同じ感動は味わえないのは確かだから、と言うのが躊躇している理由だが、恐らく行けばもう少し冷静に感動できるライブの見方にもなると思っている。
2005年の11月にもカルメン・マキ&OZをブログに書いていたので、その15年後の本日、もう少しじっくりと書き溜めておこうと改めて何度目かの本作を堪能しているが、ただただ感動の嵐。楽曲を知っているから、と言う理由ではなく、ライブの感情がそのまま聞き手に伝わってくる魂の触れ合い感が実に生々しいから、そのパワー、エネルギー、繊細さ、想い、のような言い表せないライブならではの空気感に感動しているのだと思う。当然ながらアナログ録音なのでそのアナログ感がそういうぬくもり感のような空気を感じさせてくれるのかもしれない。通して聴いていて、まず、その雰囲気と音に身を任せられる感覚が良かったが、聴いていたのが自分でアナログレコードから落としたデジタルソースだったからか。割とそういう音源もMacの中に残っていて、すっかり忘れて聴いているとアナログ感を味わえて面白い。
アルバム「Live」は1977年5月の日比谷野外音楽堂と10月の厚生年金会館の正に最後のライブが正式録音されていたようで、そこからの抜粋ベストバージョンが収録されているのだろうが、アナログ時代で2枚組レコード、A面3曲、B面2曲、C面2曲、D面2曲、って流石にこの時代にしても一曲が長尺すぎる。それこそカルメン・マキ&OZのライブの醍醐味だし、この時代あたりまでのロックの潮流だったが、こうして色々な知識を得た今になると、楽曲はUriah HeepやBlack Sabbath、King Crimsonあたりがミックスされてドロドロの重みを持って出されているのも分かる。シゲさんのベースにしてもジョン・エントウィッスルやジョン・ウェットン、ゲイリー・セイン、ジャック・ブルース的な影響が物凄く大きくて、ああいうロックベースこそがロック、ハードロック、と言わんばかりの自己主張だし、鍵盤の音色などはモロにメロトロンも含めてこの時代の先端の一歩手前辺りの音色が上手く使われている。案外春日さんのギターがオリジナルな風味を保っていて、ハードなエッセンスはあるものの、ストラトサウンドでのヘヴィサウンドなので、その分スッキリとしたヘヴィさになり独自性が現れていた気がする。その微妙なバランスの上に成り立っていながらも明らかに独自性、個性を大きく放っていたのは当然ながらのカルメン・マキその人の歌唱力も日本語も、そして歌詞の面白さ深さ言葉の使い方、内容の深さでこの時代の日本のロックの中では圧倒的な存在感だった。知名度もあったし、注目度も高かっただろうし、それでいてこのサウンドで見れば本物のロックそのまま、本場のロックにヒケを取らない日本のロックバンドの姿。素晴らしい。
ライブはジミヘンの「アメリカ国家」からの影響か、「君が代」のソロプレイが鳴り響き、イントロサウンドとばかりに「午前1時のスケッチ」で緩やかに場をなごませての登場、そしてウネリを会場に叩き込み、温めて進んでいく。まだまだ始まりを予感させる序章でしかない始まり方で期待感を煽る。そのまま続けて「シゲのソロ」、即ちヘヴィに歪んだベースソロがこれでもかとばかりに響き渡り、ベース独特のウネウネドライブ感が会場を制圧、そう、制圧という単語が似合う、正に圧倒して場を抑え込みながらの「崩壊の前日」へ突入すれば今度はマキさんの歌声がこれでもかと響き渡り、バンドの凄まじさが聴衆を襲い独特のグルーブ感、決して速さではなく重さ、それもドライブする重さとオルガンが心地良い。息を付く間もなく怒涛の「六月の詩」で更にユラユラと楽曲に身を任せるかのような一体感で魅了する。静と動の美しさ、構築美を芸術品のように披露しながら迫力も優しさも見せるひとつの物語を見せてくれる名曲には惚れ惚れする。その余韻に浸る間もなく、さらに名曲が続き「Image Song」が歌われる。これほどの歌唱力が生々しく感情を持って訴えかけてくる素晴らしさ、それに加えてどうしても直接入ってくる日本語の歌詞に誘われてハマり込んでしまう自分。これほどの美しさを持つ曲が幾つも幾つもあるバンドもそうそうないだろうし、いつ聴いてもヘヴィさを味わえる。決して片手間には聴けない真のロックバンドの歌、楽曲、そして魂込めたプレイが素晴らしい、素晴らしい以外の何者でもない。ようやく軽やかになるかとの「あどりぶ」は確かにアドリブプレイだが、基本的には「とりあえずR&R」がベースになっている楽曲で、こういう明るさや楽しさも当然ロックバンドだから持っているのかとある種安心する曲で、ここではバンドのリラックスしたプレイを味わえる。
続いて終盤のどれも外せない名曲群と言うだけでなく、この構成による楽曲の流れの美しさ素晴らしさバンドのパワー、ひとつの世界を創り上げている瞬間の記録、どこを斬っても息を付く間もない程にスリリングで緊張感が溢れている。「閉ざされた街」のクリムゾンスタイルはそのままだが、見事にバンドの音として昇華されているからエッセンスはそのままにどこの誰でもないオリジナルなハードプログレッシブ超絶歌唱サウンドが組み上げられて展開されていく。最後の熱唱シャウトから軽やかにピアノが流れて昔のマキさんのように謳われて始まる「26の時」もそれでいて恐ろしいほどのグルーブ感が曲と歌唱を引っ張っていき、見事なオルガンハードへと突き進み、更にシゲさんのベースの凄さが身に染みる音圧感。「空へ」の一言から始まる名曲は仄かなピアノの音色とマキさんの力強い歌声に加えての超絶ヘヴィサウンドが襲いかかる、正にマキOZのやりたい放題パワフルプレイが全ての楽器プレイヤーから解き放たれ、横乗りに横乗りのドライブ感で心地良く夢を見ているかのような波に乗せられていく。そこへ怒涛の17分超えにもなる文句なしの代表曲「私は風」が襲いかかる。静と動、起承転結、全てが詰め込まれた曲展開に加えてのアドリブプレイ、いつ聴いても曲中のマキさんの「シビア…」の呟きが心に沁みる、そこからの抒情詩は一方的なリスナーの想いかもしれないが、感極まっての緊張感の高さ、集中力の高さ、会場の一体感を感じられる。勝手にラストライブ、だと思い込めばその想いも余計に募るものだし、悲壮感が漂っているとも捉えられるし、いつもこのテンションのライブだったのだからとも言えるが、とにかく凄まじい、歌唱も演奏もロックの熱気も会場の熱さも全てが最高、そして長い長いエンディングからの終焉。記録に残されていて良かった、ありがたい、こういう演奏が聴けるからライブ・アルバムは止められないし、あって良かった。もしあるなら、この「Live」も二日間フルフルでの発掘ソースをそのままリリースしてほしいと切に願う。他のライブソースでも良いが、もっともっとこんな命削っているかのようなライブを聴いてみたい。
当時のバンドでは珍しく、照明も機材も自前のものを常に運びながらライブを行っていたらしく、そのこだわりが音だけでなく、魅せる意味でも働いていたらしいが、どこか命懸けてます感が強いように思えてしまったのは聞き手の一方的な思い込みだろうか。昨年ライブで見た時にはそんな悲壮感など当然なく、ヘヴィで疲れるバンドだけど明るく楽しくやろう、的にプレイして歌っていたようなのでそれもこの時代の苦労を共に歩んできたからこその信頼感からだろう。見れて、そして感じて、そして涙出来たのはホントに良かった。やはり行けるウチにまた行っておくべきだな。何度も何度も涙して感動して聴き続けている、そして一方では何度も聴きたくないヘヴィさと対峙もしながらの素晴らしきライブアルバム。日本のロック・バンドでは今でも最高峰に位置するカルメン・マキ&OZ。
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