Ozzy Osbourne - Ordinary Man
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Ozzy Osbourne - Ordinary Man (2020)

昔のロックやメタルはそこにバンドのエネルギーやパワー、不満や発散があってこその表現手段だった。時代を経るとエネルギーやパワーを大衆性に変えて、産業のひとつとして君臨し始めて正しくロックスターが誕生するようになり、それでもGジャン、革ジャンでステージに登場する、普段はスーツや綺羅びやかな服装をしているのに、だ。そんな逆説的な商売も成り立ちいつしかセレブなロックミュージシャンがテレビに登場するようになる。全く世の中は狂っている。それでもネームバリューが高まり、作品を出せば売れるどころか作る時点で狙いたいミュージシャンを起用して作成する事すら出来る。結局カネが稼げたヤツが勝ちな世の中、上手く渡っていこう。
Ozzy Osbourneの2020年作品12枚目のオリジナルアルバム「Ordinary Man」はタイトルからして皮肉そのものの「普通の人」であるワケもない本人、そして自信の表れでもあろうし、偶然の出会いながらも「今」を生きるミュージシャン、生活習慣、仕事環境をそのまま使い倒してのメンバー集め、どころか音楽そのものから周囲にお任せなスタンス。それでも歌えばオジー・オズボーンそのものの作品が出来上がるから面白い。そこまでの自信と個性があるオジーならではの作り方、古くからのリスナーが思うような慣習に囚われていないからその場その場での斬新な発想が時代を駆け抜けていった証。今回もその意味では古くからの関係者などまるで使うことなく、全くの偶然から出会った連中とその周辺人脈からアルバム作りに手を貸してもらい、ともすればオジーはほぼ何もする事なく、周囲の連中が曲を作り、アレンジしてテーマを決めてオジーに聴かせて作り上げていった作品だ。そう、全て外注。だからどうした?それでもアルバムを聴けばこれはもうオジーそのもののアルバムでしかない。だから凄い。本能的にそういう作品が果たしてオジー・オズボーンのアルバムなのか、と言ったところでしょうがない。実際そう聴こえるのだから。
娘のお遊びから若手のギタリストへと繋がり、そこからチャド、ダフへ流れ、スラッシュはともかくファンクロック系まで進み、音だけ聴いていればまるでヘヴィメタルじゃないし、ヘヴィなハードロックそのもので、実に近代的なヘヴィサウンドが出されている。そこに古い歴史へのオマージュも散りばめての作品。それでも歌えばオジーだ。エルトン・ジョンと一緒にやろうともそれはオジーだ。ヘヴィサウンドの模倣はそりゃ今の時代のミュージシャンなら簡単に出来るだろう。だからこそ今の時代を駆け抜けるメンツでのヘヴィ作品じゃなきゃダメなのだ。オジーがこの時代まで帝王であり続けられたのはそんな時代との感性の合わせ方だろう。アルバムを聴いていると決して古き良きヘヴィメタルではない。今の時代のヘヴィサウンドだ。それでも古い声が聴こえてくるから摩訶不思議。そしてオジーの歌声もどこが71歳の爺さんの歌声だ?艷やかに歌われた往年の歌声じゃないか。全く不思議な人だ。決して「普通の人」にはなれないオジー・オズボーン、驚くばかりの作品を作り上げている。そして文句を言われようともコレは素晴らしいアルバムだ。

昔のロックやメタルはそこにバンドのエネルギーやパワー、不満や発散があってこその表現手段だった。時代を経るとエネルギーやパワーを大衆性に変えて、産業のひとつとして君臨し始めて正しくロックスターが誕生するようになり、それでもGジャン、革ジャンでステージに登場する、普段はスーツや綺羅びやかな服装をしているのに、だ。そんな逆説的な商売も成り立ちいつしかセレブなロックミュージシャンがテレビに登場するようになる。全く世の中は狂っている。それでもネームバリューが高まり、作品を出せば売れるどころか作る時点で狙いたいミュージシャンを起用して作成する事すら出来る。結局カネが稼げたヤツが勝ちな世の中、上手く渡っていこう。
Ozzy Osbourneの2020年作品12枚目のオリジナルアルバム「Ordinary Man」はタイトルからして皮肉そのものの「普通の人」であるワケもない本人、そして自信の表れでもあろうし、偶然の出会いながらも「今」を生きるミュージシャン、生活習慣、仕事環境をそのまま使い倒してのメンバー集め、どころか音楽そのものから周囲にお任せなスタンス。それでも歌えばオジー・オズボーンそのものの作品が出来上がるから面白い。そこまでの自信と個性があるオジーならではの作り方、古くからのリスナーが思うような慣習に囚われていないからその場その場での斬新な発想が時代を駆け抜けていった証。今回もその意味では古くからの関係者などまるで使うことなく、全くの偶然から出会った連中とその周辺人脈からアルバム作りに手を貸してもらい、ともすればオジーはほぼ何もする事なく、周囲の連中が曲を作り、アレンジしてテーマを決めてオジーに聴かせて作り上げていった作品だ。そう、全て外注。だからどうした?それでもアルバムを聴けばこれはもうオジーそのもののアルバムでしかない。だから凄い。本能的にそういう作品が果たしてオジー・オズボーンのアルバムなのか、と言ったところでしょうがない。実際そう聴こえるのだから。
娘のお遊びから若手のギタリストへと繋がり、そこからチャド、ダフへ流れ、スラッシュはともかくファンクロック系まで進み、音だけ聴いていればまるでヘヴィメタルじゃないし、ヘヴィなハードロックそのもので、実に近代的なヘヴィサウンドが出されている。そこに古い歴史へのオマージュも散りばめての作品。それでも歌えばオジーだ。エルトン・ジョンと一緒にやろうともそれはオジーだ。ヘヴィサウンドの模倣はそりゃ今の時代のミュージシャンなら簡単に出来るだろう。だからこそ今の時代を駆け抜けるメンツでのヘヴィ作品じゃなきゃダメなのだ。オジーがこの時代まで帝王であり続けられたのはそんな時代との感性の合わせ方だろう。アルバムを聴いていると決して古き良きヘヴィメタルではない。今の時代のヘヴィサウンドだ。それでも古い声が聴こえてくるから摩訶不思議。そしてオジーの歌声もどこが71歳の爺さんの歌声だ?艷やかに歌われた往年の歌声じゃないか。全く不思議な人だ。決して「普通の人」にはなれないオジー・オズボーン、驚くばかりの作品を作り上げている。そして文句を言われようともコレは素晴らしいアルバムだ。
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