Led Zeppelin - Led Zeppelin 1968-1980
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Led Zeppelin - Led Zeppelin 1968-1980 (1990)

先日Led Zeppelinリバイバルバンドとして知られているMr.Jimmyのライブを見に行った。再現セットリストは1979年のネブワースだったので、あの枯れた感を再現するのか、とやや楽しみにしていたが、ものの見事にその枯れた感を再現していて、果たしてこれはどういう演出なのかと頭を悩ました。バンドの初期は若いし大抵勢いあって白熱のパフォーマンスが繰り広げられる。その後成熟していくと素晴らしいパフォーマンスになり、崩壊に向かうとどうしてもバンドの音はエネルギー不足になるものだが、リバイバルバンドでいつの時代の音をも再現するとなると、その空気感と呼ばれている部分をも何らかの形で表現しないといけない。それが聴いている側に伝えられるか、が難しい。それを見事に出していた事に驚いた。少々オーバーアクションな気もしたが…、それでもあれだけのフレージングを違和感なく見せつけられる、リスナーにジミー・ペイジとしか思えないイメージを与えられるのは凄い。ツェッペリンのライブラリの中で最も耳にすることの少ない1979年のネブワースのライブを、コレを気にちょこちょこと聴くようになってしまった。それでも昔散々聴いて見てたからか、ライブ中も次の展開やフレーズが耳に残っていたのは面白い。そういえば「Misty Mountain Hop」でジミー・ペイジが使っていたギブソンのヘッドがレスポールでボディがファイヤーバードの変形みたいなのって何ていうギターだろ?Mr.Jimmyでは使ってなかったので残念、と思ったが。
1990年は英国でミステリー・サークルが大流行。以前から発生していたが、ここに来て模様の複雑さが増し、幾何学的芸術性が高まった事から注目され、その最たるものがこのアルバムジャケットに記されたミステリー・サークルだろう。既に人為的に作られているモノとして結論付けられているようなので、夢も無くなっているが、当時はどういう風に出来上がるのか、誰が何のためにと話題になった。そのミステリーさとツェッペリンのリマスタリングされたベスト盤「Led Zeppelin 1968-1980」のリリースが交錯した事から見事に雰囲気のあるアルバムジャケットとなった。当時4枚組のデカいボックスと、同時に2枚組の通常CDバージョンが同じミステリー・サークルでありながらも別ジャケットでリリースされて話題になった。音が良くなったのはともかくながら、ブックレットの歌詞カードにコードが振られていたのは画期的で、それを基にアコースティック楽曲をコピーする時の目安として重宝した記憶がある。更に聞き慣れすぎた曲順から離れて、本作の時代を超越した曲順がいつまで経っても斬新で結局慣れなかった。
その中でそれまではBBCソースでしか聴けなかった「Travelin' Riverdide Blues」のオフィシャル化、「移民の歌」のシングルB面曲だった「Hey Hey What Can I Do」のアルバム収録化、最後の最後にボンゾとドラム協奏曲を練っていた事からの「Bonzo's Montreux」の収録と話題もあった。何度も何度もこの4枚を一気に聴きながらジミー・ペイジの意図を理解しようとしてたが、今思えばさほど意識する必要もなかったか。ちなみにこの4CDボックスはCDだけ外に出してボックスはそのまま保管していたが、ある時開けてみると見事に中のウレタンがボロボロに崩れ去っており、コレクションにも売り物にもならない状態だった。なるほど、中古市場にバラ撒かれないためにはこういう仕様にするのが一番なのか、とアホな事も思ったが、その意味で美品が今でも残っているならば相当貴重かもしれない。
何回聴いてもツェッペリンは凄い。どう聴いても普通のバンドではないし、ましてやハードロックバンドではない。プログレ・バンドでしかないが、それにしてもヘン。大体ボーカルラインがおかしい。それに加えてのジミー・ペイジとジョンジーだ。その不思議な化学反応が今でもリスナーを魅了する。素晴らしきバンドに出会えた事に感謝。

先日Led Zeppelinリバイバルバンドとして知られているMr.Jimmyのライブを見に行った。再現セットリストは1979年のネブワースだったので、あの枯れた感を再現するのか、とやや楽しみにしていたが、ものの見事にその枯れた感を再現していて、果たしてこれはどういう演出なのかと頭を悩ました。バンドの初期は若いし大抵勢いあって白熱のパフォーマンスが繰り広げられる。その後成熟していくと素晴らしいパフォーマンスになり、崩壊に向かうとどうしてもバンドの音はエネルギー不足になるものだが、リバイバルバンドでいつの時代の音をも再現するとなると、その空気感と呼ばれている部分をも何らかの形で表現しないといけない。それが聴いている側に伝えられるか、が難しい。それを見事に出していた事に驚いた。少々オーバーアクションな気もしたが…、それでもあれだけのフレージングを違和感なく見せつけられる、リスナーにジミー・ペイジとしか思えないイメージを与えられるのは凄い。ツェッペリンのライブラリの中で最も耳にすることの少ない1979年のネブワースのライブを、コレを気にちょこちょこと聴くようになってしまった。それでも昔散々聴いて見てたからか、ライブ中も次の展開やフレーズが耳に残っていたのは面白い。そういえば「Misty Mountain Hop」でジミー・ペイジが使っていたギブソンのヘッドがレスポールでボディがファイヤーバードの変形みたいなのって何ていうギターだろ?Mr.Jimmyでは使ってなかったので残念、と思ったが。
1990年は英国でミステリー・サークルが大流行。以前から発生していたが、ここに来て模様の複雑さが増し、幾何学的芸術性が高まった事から注目され、その最たるものがこのアルバムジャケットに記されたミステリー・サークルだろう。既に人為的に作られているモノとして結論付けられているようなので、夢も無くなっているが、当時はどういう風に出来上がるのか、誰が何のためにと話題になった。そのミステリーさとツェッペリンのリマスタリングされたベスト盤「Led Zeppelin 1968-1980」のリリースが交錯した事から見事に雰囲気のあるアルバムジャケットとなった。当時4枚組のデカいボックスと、同時に2枚組の通常CDバージョンが同じミステリー・サークルでありながらも別ジャケットでリリースされて話題になった。音が良くなったのはともかくながら、ブックレットの歌詞カードにコードが振られていたのは画期的で、それを基にアコースティック楽曲をコピーする時の目安として重宝した記憶がある。更に聞き慣れすぎた曲順から離れて、本作の時代を超越した曲順がいつまで経っても斬新で結局慣れなかった。
その中でそれまではBBCソースでしか聴けなかった「Travelin' Riverdide Blues」のオフィシャル化、「移民の歌」のシングルB面曲だった「Hey Hey What Can I Do」のアルバム収録化、最後の最後にボンゾとドラム協奏曲を練っていた事からの「Bonzo's Montreux」の収録と話題もあった。何度も何度もこの4枚を一気に聴きながらジミー・ペイジの意図を理解しようとしてたが、今思えばさほど意識する必要もなかったか。ちなみにこの4CDボックスはCDだけ外に出してボックスはそのまま保管していたが、ある時開けてみると見事に中のウレタンがボロボロに崩れ去っており、コレクションにも売り物にもならない状態だった。なるほど、中古市場にバラ撒かれないためにはこういう仕様にするのが一番なのか、とアホな事も思ったが、その意味で美品が今でも残っているならば相当貴重かもしれない。
何回聴いてもツェッペリンは凄い。どう聴いても普通のバンドではないし、ましてやハードロックバンドではない。プログレ・バンドでしかないが、それにしてもヘン。大体ボーカルラインがおかしい。それに加えてのジミー・ペイジとジョンジーだ。その不思議な化学反応が今でもリスナーを魅了する。素晴らしきバンドに出会えた事に感謝。
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