Syd Barrett - Opel
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Syd Barrett - Opel (1988)

感性に秀でている人というのは確かに存在するしそれを才能とも言うが、突出した天才ってのは常人とは明らかに異なる才覚を持っているんだな〜なんてことは長年生きてれば自ずと判ってくる事で、自分がそうかそうでないかなんて事も判ってしまうのだが、大抵は凡人であろうし世間はそこを基準にして常識という概念が保たれている、はず。最近は流入もあって常識自体がおかしくなってる事柄も多々見受けられるが…、それを年寄りの戯言とも言う(笑)。
狂ったダイアモンド、シド・バレット。1988年に発掘リリースされた「Opel」というアルバムを聴きながらの駄文となるが、今回流れからしてシド・バレット聴こう〜って思って流してるんだけど、その時に「Opel」ってどんなんだっけ?ってことでネットでアレコレ見てたらお馴染みブログ仲間のyuccalinaさんトコが引っ掛かってきて、へぇ〜なんて思いながら見てたら何とも驚くべき事柄が書かれていてじっくりと読み倒し、更にその奥までをちょこっと調べたりしてしまった。簡単に書くと狂ったダイアモンド、シド・バレットは「アスペルガー症候群+共感覚」という神経的には病気であったと言うことだ。彼が亡くなった時に姉がそういう話をしていたそうだが、yuccalinaさんはそれを見つけて多々納得する部分があったとの事。ふ〜ん、そうなのかと初めて知ったんで、アレコレ…、で、結論的に書けばそれは他者と感覚論がまるで異なるらしい。音に色が付いているとかそういう感覚のミックスが形成されていて、共感覚という事になるようだが…、なるほど、シド・バレットの奇妙な歌詞は天才だからとか意図したものでもなく、彼が普通に感じたものを普通に書いていただけの事で、受け取る我々が狂気の向こう側から来た発想としてしまったワケだ。シド・バレットにとってはいい迷惑だったろう…。当然病気なので悪化衰退するのも必然、それでも懸命に闘って何年か前に天命を全うしたと言うことだ。
そりゃ狂気だなんだと言われたって困るわな。でも、紛れも無く「Opel」などを聴いていて思うのは常人と感覚が違うってこと。「Opel」は当時未発表曲と言われるのもあったがその他は概ねアルバムで発表済みの曲の「丸裸バージョン」すなわち誰も手を入れていない生のシド・バレットのギターと歌だけのデモテープのまとめで、より一層生々しく聞こえる記録になっている。人はそれを狂気や扉の向こう側の世界と言うが、それはシド・バレットの魂の叫びだったんだと思う。彼的には理解されたくてやってる芸術じゃないだろうけど、どうしてそういう解釈なのだろうと苦しんだ事は想像に難くない。聴くだけの傍観者としてはラクなものだが、この話を知った時からシド・バレットという人に対する意識がガラリと変わった。触れて良いものかどうかもわからない。ただ作品がそこにある、それはこちらの世界での奇作だがシド・バレットの世界ではきっと凡作なのだろう。自分にはそれを永遠に理解できることはないということも判ってしまった。
な〜んてお話だけど、「Opel」凄いや。本当の意味で理解は出来ない、出来ない代物を聞いてほんの少しだけでも知りたい理解したいと思う健気な葛藤をしていたのでした。

感性に秀でている人というのは確かに存在するしそれを才能とも言うが、突出した天才ってのは常人とは明らかに異なる才覚を持っているんだな〜なんてことは長年生きてれば自ずと判ってくる事で、自分がそうかそうでないかなんて事も判ってしまうのだが、大抵は凡人であろうし世間はそこを基準にして常識という概念が保たれている、はず。最近は流入もあって常識自体がおかしくなってる事柄も多々見受けられるが…、それを年寄りの戯言とも言う(笑)。
狂ったダイアモンド、シド・バレット。1988年に発掘リリースされた「Opel」というアルバムを聴きながらの駄文となるが、今回流れからしてシド・バレット聴こう〜って思って流してるんだけど、その時に「Opel」ってどんなんだっけ?ってことでネットでアレコレ見てたらお馴染みブログ仲間のyuccalinaさんトコが引っ掛かってきて、へぇ〜なんて思いながら見てたら何とも驚くべき事柄が書かれていてじっくりと読み倒し、更にその奥までをちょこっと調べたりしてしまった。簡単に書くと狂ったダイアモンド、シド・バレットは「アスペルガー症候群+共感覚」という神経的には病気であったと言うことだ。彼が亡くなった時に姉がそういう話をしていたそうだが、yuccalinaさんはそれを見つけて多々納得する部分があったとの事。ふ〜ん、そうなのかと初めて知ったんで、アレコレ…、で、結論的に書けばそれは他者と感覚論がまるで異なるらしい。音に色が付いているとかそういう感覚のミックスが形成されていて、共感覚という事になるようだが…、なるほど、シド・バレットの奇妙な歌詞は天才だからとか意図したものでもなく、彼が普通に感じたものを普通に書いていただけの事で、受け取る我々が狂気の向こう側から来た発想としてしまったワケだ。シド・バレットにとってはいい迷惑だったろう…。当然病気なので悪化衰退するのも必然、それでも懸命に闘って何年か前に天命を全うしたと言うことだ。
そりゃ狂気だなんだと言われたって困るわな。でも、紛れも無く「Opel」などを聴いていて思うのは常人と感覚が違うってこと。「Opel」は当時未発表曲と言われるのもあったがその他は概ねアルバムで発表済みの曲の「丸裸バージョン」すなわち誰も手を入れていない生のシド・バレットのギターと歌だけのデモテープのまとめで、より一層生々しく聞こえる記録になっている。人はそれを狂気や扉の向こう側の世界と言うが、それはシド・バレットの魂の叫びだったんだと思う。彼的には理解されたくてやってる芸術じゃないだろうけど、どうしてそういう解釈なのだろうと苦しんだ事は想像に難くない。聴くだけの傍観者としてはラクなものだが、この話を知った時からシド・バレットという人に対する意識がガラリと変わった。触れて良いものかどうかもわからない。ただ作品がそこにある、それはこちらの世界での奇作だがシド・バレットの世界ではきっと凡作なのだろう。自分にはそれを永遠に理解できることはないということも判ってしまった。
な〜んてお話だけど、「Opel」凄いや。本当の意味で理解は出来ない、出来ない代物を聞いてほんの少しだけでも知りたい理解したいと思う健気な葛藤をしていたのでした。
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