Blondie - Plastic Letters


昔から不思議に思っていて、今でも不思議なことに変わりはなくって、自分なりの折り合いを付けているって事柄が多々ある。その中のひとつにブロンディはNYのパンクバンドだ、ってのと初期2枚のアルバムはパンクアルバムで、その後から変わったと言われる所だ。いつどんな形でどうやって聴いてもそうは聴こえないし、生い立ちがバンドのカラーだとするならばまだわかるものの音楽ってのはある程度音楽に依存したカテゴライズをしているのじゃないのか?という曖昧な境界線を疑問視してみたり…。どっちでも良いんだけどさ、あまりにもアチコチで言われている書かれているのでそう思えない自分が間違ってるんだろうか?って気になるのだ。別に間違ってようが感性の話だから世の中が間違ってるんだ、自分はそれでも貫く、なんてのはかっこ良いんだろうけど、やっぱね、気にはなるんですよ。
1977年のBlondieのセカンド・アルバム「Plastic Letters 」。一般的にはまだまだブレイクしまくっていない時期のアルバムで、ポップでキャッチーな曲が山のように入ってるしヒット作「Denis」とかも入ってる今後の路線をある意味決定したアルバム。アメリカよりも英国で売れたってのは音のキャッチーさとポップさとひねくれさのようだ。改めて聴くとさ、50〜60年代のポップス的で、ロネッツとかそういうキャッチーなメロディとキュートな歌声で疾走感溢れた曲が歌われるっつうのかな、そのヘンが可愛らしい。まぁ、Dum Dum Clubとかも似たような視点で今やっているんで、時代は繰り返すんだが、この1977年の時点でのこのキャッチーなキュートさは他には類を見ないバンドのスタイルだったってのは確か。それで売れたのもわかる。ただ、どうしてこれがパンクと呼ばれるのかがわからん。デボラ・ハリーがこれだけキュートな格好してコケティッシュに歌っているのをパンクと?戸川純をパンクと言うのは何故?姿勢が反骨精神あふれてるから?それでデボラ・ハリーもそういう意味?なんだろうと勝手に決めているんだけど、そんなところだろう。では、それが以降のディスコティックなサウンドをやり始めたらパンクじゃなくなるのか?セカンド「Plastic Letters」まではアジテーションとしてのパンクで語られ、その後は音楽としてのポップバンドとして語られるのか?それともその時はバンドにアジテーションが存在しなかった?でもブロンディってデボラ・ハリーがイメージなワケで、それって最初から変わらない。ってことは何が変わった?デボラ・ハリーのアイデンティティ?う〜ん、そんなことまで考えないよな。とじなるとポップアイコンとしての側面が強くなったからってことか。音楽と関係ないじゃねぇか…とか。
そんなお話が疑問の流れだけど、この「Plastic Letters 」って良いね。スタイルとか呼ばれ方はともかく、いいよ、これ。キュンと来るキャッチーなポップで疾走感もあるし、軽快。もしかしたら相当名盤な気がしている。重さは皆無だが、ポップスとして聴きやすいし、上手くバランス取ってるなぁと。当時人気が出たハズですな、これ。
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