Deep Purple - Deep Purple III
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Deep Purple - Deep Purple III (1969)

古き良き日本のロックへの影響度を誇るバンドシリーズ…っても大して詳しくないのであまり語れないのだけど、強烈すぎたLed Zeppelinという存在は間違いなく影響下にあったはず。しかし、彼らの曲をモチーフにするには難しい部分もあったのか、そもそもZeppelin自体がカバーとパクリのオンパレードだったが故にそれをパクるということも無かったのか、はたまたオリジナリティを感じられなかったからなのか、どのバンドからもZeppelinの影響をそのまま音で聴けることはほとんど見当たらない。これは面白いよね。圧倒的な影響力を誇るものの今に至るまでZeppelinの影響下にあるバンドって言うと、単なる真似事バンドだと見なされてしまうワケで、それだけ突出したオリジナリティだった存在なんだろう。まぁ、一方で日本では70年代前半にはZeppelinと双璧を成す存在でもあったDeep Purpleも70年代初頭では全然パッとするバンドではなかったのだが、それなりに英国ロックの雄として影響を与えていた、ようだ。
ってことで注目されることの少ない1969年にリリースされた第一期での三枚目のアルバム「ディープ・パープルIII」です。昔から第一期のDeep Purpleってのは割と好きでして、それは音的にハードロックの雄とかではなくて70年前後の英国ロックの黎明期としての一バンドとして面白い存在だったからという理由です。ハードロックのDeep Purpleは別の話でして、まずはこの初期の有象無象の英国ロックバンドの中のひとつとしての存在の3枚のアルバムの方がバンドの本質が出ている気がするし。もっと悪い言い方をしてしまえば、最初の「Hush」がヒットし無けりゃアルバム一枚で無くなっていたバンドだったかもしれないし、「Kentucky Woman」のヒットが無けりゃそこで終わってただろうと思ってるんだよね。それが幸運なことに2つのヒットを放ち、更に音楽的に優れたメンバーが揃っていたのもあって、B級バンド然としていた二人をクビにしてプロに向かって進んだ、みたいなトコなんだよな、Deep Purpleってさ。だから狙って作られたバンド感が強い。もちろんそれが商売だから別に良いんだけど、この初期三枚までは明らかに音楽的な方向性を決めかねている、いわばアマチュア時代に等しい時代なのかもしれない。鍵盤中心でプログレがかった展開でどちらかと言えばプロコル・ハルム的なクラシカル要素を取り入れた存在ではあったが、それはもうプロコル・ハルムが実践していたからDeep Purpleが同じ事をやる必要もないし、プロコル・ハルムは既にオーケストラとやるレベルにあったから時代に合わせてハードに進むべきだというリッチーの主張は正解だった。
その前の最終段階のDeep Purpleの姿、アルバムがリリースされる頃には既にバンドは解体してて、生まれ変わっている最中。おかげでアルバムを売るという行為をほとんどしなかったようだが、レーベルもよくそんなので許したものだ。無名レーベルだったからこその自由さだろうか。その中味だが、もちろんメンバーの力量に於いて、カラフルな音使いや誰かが目立つというアルバムではなく、こじんまりとまとまった秀作で、特に最後の「April」のクラシカルで長い曲展開はこの時代のロックを物語っているのと彼らがどこに進もうとしてるのかのひとつの方向性を見せた曲でもある。それをリッチーが作ってるんだから面白い。まぁ、確かにこのままの路線じゃどんなバンドになるんだ?って感じだ。同じように他の曲もちゃんと聴けばそれぞれの力量発揮ももちろんあるけど、そもそも曲があまりにも英国しすぎていて地味~にこじんまりまとまってるのがマイナス。周辺の70年代の英国ロックバンドと比べてもこれはあまり評価されないアルバムなんだろうと思うけど、ま、よく方向転換していったものだ。そのおかげでCaptain BeyondとかWarhorseが出来上がったワケだからそれもまた歴史だろう。普通に英国ロックバンドとして聴くべき代物、です♪


古き良き日本のロックへの影響度を誇るバンドシリーズ…っても大して詳しくないのであまり語れないのだけど、強烈すぎたLed Zeppelinという存在は間違いなく影響下にあったはず。しかし、彼らの曲をモチーフにするには難しい部分もあったのか、そもそもZeppelin自体がカバーとパクリのオンパレードだったが故にそれをパクるということも無かったのか、はたまたオリジナリティを感じられなかったからなのか、どのバンドからもZeppelinの影響をそのまま音で聴けることはほとんど見当たらない。これは面白いよね。圧倒的な影響力を誇るものの今に至るまでZeppelinの影響下にあるバンドって言うと、単なる真似事バンドだと見なされてしまうワケで、それだけ突出したオリジナリティだった存在なんだろう。まぁ、一方で日本では70年代前半にはZeppelinと双璧を成す存在でもあったDeep Purpleも70年代初頭では全然パッとするバンドではなかったのだが、それなりに英国ロックの雄として影響を与えていた、ようだ。
ってことで注目されることの少ない1969年にリリースされた第一期での三枚目のアルバム「ディープ・パープルIII」です。昔から第一期のDeep Purpleってのは割と好きでして、それは音的にハードロックの雄とかではなくて70年前後の英国ロックの黎明期としての一バンドとして面白い存在だったからという理由です。ハードロックのDeep Purpleは別の話でして、まずはこの初期の有象無象の英国ロックバンドの中のひとつとしての存在の3枚のアルバムの方がバンドの本質が出ている気がするし。もっと悪い言い方をしてしまえば、最初の「Hush」がヒットし無けりゃアルバム一枚で無くなっていたバンドだったかもしれないし、「Kentucky Woman」のヒットが無けりゃそこで終わってただろうと思ってるんだよね。それが幸運なことに2つのヒットを放ち、更に音楽的に優れたメンバーが揃っていたのもあって、B級バンド然としていた二人をクビにしてプロに向かって進んだ、みたいなトコなんだよな、Deep Purpleってさ。だから狙って作られたバンド感が強い。もちろんそれが商売だから別に良いんだけど、この初期三枚までは明らかに音楽的な方向性を決めかねている、いわばアマチュア時代に等しい時代なのかもしれない。鍵盤中心でプログレがかった展開でどちらかと言えばプロコル・ハルム的なクラシカル要素を取り入れた存在ではあったが、それはもうプロコル・ハルムが実践していたからDeep Purpleが同じ事をやる必要もないし、プロコル・ハルムは既にオーケストラとやるレベルにあったから時代に合わせてハードに進むべきだというリッチーの主張は正解だった。
その前の最終段階のDeep Purpleの姿、アルバムがリリースされる頃には既にバンドは解体してて、生まれ変わっている最中。おかげでアルバムを売るという行為をほとんどしなかったようだが、レーベルもよくそんなので許したものだ。無名レーベルだったからこその自由さだろうか。その中味だが、もちろんメンバーの力量に於いて、カラフルな音使いや誰かが目立つというアルバムではなく、こじんまりとまとまった秀作で、特に最後の「April」のクラシカルで長い曲展開はこの時代のロックを物語っているのと彼らがどこに進もうとしてるのかのひとつの方向性を見せた曲でもある。それをリッチーが作ってるんだから面白い。まぁ、確かにこのままの路線じゃどんなバンドになるんだ?って感じだ。同じように他の曲もちゃんと聴けばそれぞれの力量発揮ももちろんあるけど、そもそも曲があまりにも英国しすぎていて地味~にこじんまりまとまってるのがマイナス。周辺の70年代の英国ロックバンドと比べてもこれはあまり評価されないアルバムなんだろうと思うけど、ま、よく方向転換していったものだ。そのおかげでCaptain BeyondとかWarhorseが出来上がったワケだからそれもまた歴史だろう。普通に英国ロックバンドとして聴くべき代物、です♪
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