紫 - 紫
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紫 - 紫 (1975)

昔の日本のロックって欧米のバンドのカバーかと思うようなバンドも多くて、それでも結構知名度高くなって売れたりしてたから日本人は生でそういうサウンドを聴ける事には飢えていたんだろうと思う。いずれそれらのバンドの音はカバーとかコピーという次元から独特のロックに進化してステータスを築き上げるみたいな感じだろうか。そういう意味では本当にオリジナルな日本のロックが出てきたのは80年前後あたりなのかもしれない。そういう聴き方で聴いた事ないからはっきりと言えないけど…。あ、その前に日本にはフォークっつうのがあったから独自性はあったか。敢えてロックというカテゴリーに絞ってみれば、って事です。なんでまたそんな事を考えたかって…、いや、シナロケにしてもサンハウスにしてもそういうコピー…っつうか物好きから始まってかなりのステータスになっていったし、そんな事から自分のライブラリに懐かしいものを見つけてしまって、これもそうだよなぁ…と思ったバンドのひとつが紫だったワケです。
1975年にリリースされたファーストアルバム「紫」。バンド名が語る通り第二期ディープ・パープルそのままの音でシーンに登場して数枚のアルバムで解体しちゃった伝説の沖縄のバンド。この沖縄の、ってのもクセあって、沖縄が日本に返還されたのが1972年、ってことは紫がライブで鍛え上げている頃ってほとんどまだ沖縄がアメリカだった時代で、それも本物のロックが全盛期だった時代のアメリカにいたようなもんだからそんじょそこらの最近のバンドで見るようなチャラいのなんてあり得ないし、許されなかった時代なんだよ。そんな試練を切り抜けてきた本物の迫力が音にも表れているハズで、渾身のメジャーデビューってなったようだ。彼らは多分米軍兵達に対してバンドを鍛えてきた面が強かったから、まるで日本本土の事なんぞ相手にしてなかったと思うけど、結果としてそのスタイルは日本全土を震撼させるに相応しいバンドの音になっていて、一躍日本を代表するバンドの一端を担うことになった。ただ成功もつかの間だったというのはこの時代にはやむを得ない事だったろうか。商業的な成功とロックのステータスは関係が無いからってのも大きな要因ではあるだろう。
ま、そんな事よりも、最初は紫のサウンドって良いのかコレ?的に思ってた。完全に第二期パープルだからオリジナリティも何も無いし。プレイヤーとしての器量はもちろんあるけど、ミュージシャンとしての器量はどうなん?みたいなとこあったし。ただ、時代背景を考えてみると1975年って本家パープルはもう完全にソウルバンドになっていった頃で、第二期が好きだったファンはみなレインボウに行くんだよ。でもレインボウってこんなにスピーディで鍵盤が鳴ってないから、世の中にあの第二期パープルの音を出すバンドってのがいなくなっちゃった時代。それを紫がひとつのジャンルとして受け止めて再現していたというような背景もあった。時代と文化ってのは重要だ。長々と書いているが、音についてとやかくは何もない。普通に聴いたら第二期パープルの作品だと思うだろう。言い換えればそれほどに演奏は上手いし音もそういう音が出ているし曲調もそのままだし歌だって英語で当たり前に声が出ている。ただ、全体的にこじんまりとした感じではあるけどそれだって当時の日本ではあり得ないくらいのスケール。この時代にこういう音を出していたのは敬愛するマキオズくらいしか自分は知らない。
ガタガタと書いたけど、「紫」、一言で言えば「凄い。」聴いて笑う人は多分いなくてその本物さ本気さに圧倒される。そして紫に惚れる、と思う。スタイルとスタンス、エッセンスはしっかりと継承しつつも沖縄の風なのだろうか、どこか大陸風とも言えるスケールの大きさや展開が聴ける名盤です。
更に驚いたことに2010年には再結成メンバーで新作アルバムをリリースしていてかなり好評らしい。日本もそういう時代に入っているんだなぁ…。機を見つけて聴いてみよう。


昔の日本のロックって欧米のバンドのカバーかと思うようなバンドも多くて、それでも結構知名度高くなって売れたりしてたから日本人は生でそういうサウンドを聴ける事には飢えていたんだろうと思う。いずれそれらのバンドの音はカバーとかコピーという次元から独特のロックに進化してステータスを築き上げるみたいな感じだろうか。そういう意味では本当にオリジナルな日本のロックが出てきたのは80年前後あたりなのかもしれない。そういう聴き方で聴いた事ないからはっきりと言えないけど…。あ、その前に日本にはフォークっつうのがあったから独自性はあったか。敢えてロックというカテゴリーに絞ってみれば、って事です。なんでまたそんな事を考えたかって…、いや、シナロケにしてもサンハウスにしてもそういうコピー…っつうか物好きから始まってかなりのステータスになっていったし、そんな事から自分のライブラリに懐かしいものを見つけてしまって、これもそうだよなぁ…と思ったバンドのひとつが紫だったワケです。
1975年にリリースされたファーストアルバム「紫」。バンド名が語る通り第二期ディープ・パープルそのままの音でシーンに登場して数枚のアルバムで解体しちゃった伝説の沖縄のバンド。この沖縄の、ってのもクセあって、沖縄が日本に返還されたのが1972年、ってことは紫がライブで鍛え上げている頃ってほとんどまだ沖縄がアメリカだった時代で、それも本物のロックが全盛期だった時代のアメリカにいたようなもんだからそんじょそこらの最近のバンドで見るようなチャラいのなんてあり得ないし、許されなかった時代なんだよ。そんな試練を切り抜けてきた本物の迫力が音にも表れているハズで、渾身のメジャーデビューってなったようだ。彼らは多分米軍兵達に対してバンドを鍛えてきた面が強かったから、まるで日本本土の事なんぞ相手にしてなかったと思うけど、結果としてそのスタイルは日本全土を震撼させるに相応しいバンドの音になっていて、一躍日本を代表するバンドの一端を担うことになった。ただ成功もつかの間だったというのはこの時代にはやむを得ない事だったろうか。商業的な成功とロックのステータスは関係が無いからってのも大きな要因ではあるだろう。
ま、そんな事よりも、最初は紫のサウンドって良いのかコレ?的に思ってた。完全に第二期パープルだからオリジナリティも何も無いし。プレイヤーとしての器量はもちろんあるけど、ミュージシャンとしての器量はどうなん?みたいなとこあったし。ただ、時代背景を考えてみると1975年って本家パープルはもう完全にソウルバンドになっていった頃で、第二期が好きだったファンはみなレインボウに行くんだよ。でもレインボウってこんなにスピーディで鍵盤が鳴ってないから、世の中にあの第二期パープルの音を出すバンドってのがいなくなっちゃった時代。それを紫がひとつのジャンルとして受け止めて再現していたというような背景もあった。時代と文化ってのは重要だ。長々と書いているが、音についてとやかくは何もない。普通に聴いたら第二期パープルの作品だと思うだろう。言い換えればそれほどに演奏は上手いし音もそういう音が出ているし曲調もそのままだし歌だって英語で当たり前に声が出ている。ただ、全体的にこじんまりとした感じではあるけどそれだって当時の日本ではあり得ないくらいのスケール。この時代にこういう音を出していたのは敬愛するマキオズくらいしか自分は知らない。
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