Led Zeppelin - Physical Graffitti
ん~、こうやって書くと改めてボンゾの代わりが必要だったんだなぁ~と。それで色々やったけど、こないだのアーメット・アーティガン追悼によるロンドンのO2アリーナでのボンゾの息子、ジェイソンを迎えた再結成ライブというものは素晴らしい出来事だったんだと実感するね。早く正式なDVDとかリリースされないだろうか。
…ってなことでボンゾの命日から28年、レッド・ツェッペリンのアルバムを書き進めよう。


1975年リリースの二枚組アルバム「フィジカル・グラフィティ」。これにてレッド・ツェッペリンは自らの音楽性の深さを確立し、多様性に加えて探求性を提示したんじゃないかな。筆頭に挙げられるのはもちろん「Kashmir」。
この曲の深さは例えようもないほどだ。昔から何かと「Kashmir」のことについてはあちこちで書かれていたけど、どうしてだろうという想いもあったりしたけどね、20年以上も聴いているとわかるんだよ、その深さと広さが(笑)。ま、それは順を追っていこう。
初っ端の「Custard Pie」からして「おぉ~!、ツェッペリンのリフだ!」という感じのギターとドラムの重さ。ボンゾの音の重さとデカさはこのアルバムが一番なんじゃないだろうか。ドンドンと迫ってくるもんね。そもそもこのリフ、変拍子っぽく聞こえるんだけどこういうマジックがジミー・ペイジのワザなんだよ。んで「The Rover」が始まるんだけど、このリフってかっこよいよな。正にジミー・ペイジならではのリフ作りでもちろん曲も引っ掛かりのある重さを持ってるんだが、ギターソロがもうかっこよい。決してテクニカルではないギタリストなんだけど、この曲にこういうギターソロか、と無理しないで弾けよ、と思うけど実に曲にマッチしたソロでさ、音色も艶やかにしていてちと違う。プラントがね、全編そうなんだけどレコーディングのせいかな、どこか幻想的な空間で歌っているような音で入ってるから、あまり直接的に歌です、っていうんじゃないからさ。これも深み。んでアナログ時代のA面ラスト「死にかけて」。ここまで、というかこの後もどれも曲が長いから片面3曲とか4曲しか入っていないアルバムってのも創作意欲の表れでして、もちろん以前レコーディングした曲も入れているけどね。まぁ、それで「死にかけて」もひとつの金字塔。カバーとかパクリとか色々言われるが、この楽曲の壮大さと底力は並大抵ではない。オープンチューニングにスライドギターを駆使したギター、正にブルースからの発想でこれだけ神懸かった深みを持つリフを仕上げるというのもジミー・ペイジの柔軟な発想。最後のお茶目な「テレテレレ~」というギターと「ボンゾの咳」が有名。で、前作の余り曲「The House of the Holy」。ん、前作から外れるのはよくわかる。アルバム的にそぐわなかったんだろうね。が、こうして聴くと何ら違和感なくヘヴィーなサウンドのツェッペリン流な曲に仕上がっているからさ。さてライブでは圧倒的な迫力を聴かせてくれる「Trampled Underfoot」。ジョンジーのクラヴィネットのリフが躍動感あってね、単調だけどその分高揚感溢れる仕上がり。正にバンド、という音でボンゾの貢献度も滅茶苦茶高いし、いやぁ~、一体となった素晴らしい曲だよ。そのまま「Kashmir」に突入。不思議なチューニングとコード進行、というかリフの音色で単純ではあるけど圧倒的な迫力と貫禄を保っている名曲。最初はボンゾももっとドラムに色々とオカズを入れたりしていたそうだが、なんとかなだめてひたすらシンプルに叩かせたということらしいが、大正解。そのへんのジミー・ペイジのセンスは見事。頭の中で自分の出したい音が鳴っているんだろう。
そういえばジャケットについても結構凝っていて、上から入れるスリーブ型、そしてビルの窓に色々な人が現れる仕掛けで、レコードの入っているスリーブも同じようにビルの中味が印刷されているのでどの表情をジャケットに出しておくかはリスナー次第という楽しさ。こういう遊び心も英国人ならではの心意気だろうね。紙ジャケCDならこの楽しみも味わえるけど、やっぱアナログですよジャケ遊びは(笑)。
さて二枚目のディスク。ちと気怠い感じで進められる「In the Light」もこれまでのツェッペリンにはなかった曲調でなかなか馴染みにくい曲だったけど、挑戦としてはありだよな、という感じ。そして印象的なアコーヅティックプレイ…と片付けて良いのか、ギターによる協奏曲と言うのか…「Bron Yr Aur」、「狂熱のライブ」の映画のライブ会場であるMSGに向かうまでに流れている音です。英国のフォークとも違う、クラシックとも違う、かと言ってインド的でもなく、正にジミー・ペイジのオリジナリティ溢れる作品じゃないかと思っているんだけど、こういうのってどっかに似たような音楽あるのかな?ギター一本による素晴らしきテーマ。それが終わると優しくドラムが入って「Down By The Seaside」という何ともプラントの趣味丸出しな歌詞とソフトでキャッチーな曲が始まる。ツェッペリンの幅広さと余裕がこういう曲には溢れているんだけど、それでもしっかりとボンゾの迫力なドラムとツェッペリン風な音になっているからポップには聞こえないわな。C面ラストの「Ten Years Gone」。涙あるのみ、と言わんばかりに組み上げられた楽曲で、12弦ギターを含むギターの多重演奏が素晴らしい。静と動の組み合わせも見事だし、「天国への階段」に匹敵する楽曲として「Ten Years Gone」が挙げられることも多いんだけど、そういう深さと神秘性を持った曲だよね。D面一発目、いやD面って結構好きでね。多分どの面も長くて重くて迫力あるから疲れてしまうんだけどD面は5曲入っていてサクッとした曲が多いからほっとするんだろうと思う。だから割と聴いた。アナログ時代はそういう聴き方ができたからね。だから「Night Flight」のメロディのキャッチーさとボンゾのドコドコ、ジミーのリフのセンス、ジョンジーのオルガン、どれも躍動感溢れてロックしているよね。普通に。その勢いは「The Wanton Song」も同じでいやぁ~昔からのツェッペリンらしいリフじゃないですか。重さは更にハクが付いているけど、素直にかっこよいと誰もが思えるシンプルな良さだね。「Boogie With Stu」はもうお遊びの世界でこういうのをアルバムの中でできてしまうのが凄いよな。昔は好きじゃなかった曲だけど、今はまぁあってもいいか、って思える。ピアノのロールが素晴らしいから。「Black Contry Woman」も同じような印象だったけどライブを聴いてからはやっぱりいいんだ、これ、と(笑)。まぁ、その辺適当な印象だったワケですよ。そして最後の「Sick Again」はもっと違う位置にあってもいいんじゃないかと思えるくらいロック的にナイスな曲。リフも相変わらずなツェッペリン調。重さもさすがボンゾ、だし。
いやぁ~、マジメに書いていたらキリがないくらい深いアルバムでして、ホントは二回に分けたいくらいだよな(笑)。ボンゾの迫力は多分このアルバムリリース以降に一気に加速した感じ。それにてツェッペリンも幅が広がっていった感じでジミー・ペイジとボンゾのバンドと云えるくらいに力加減が変わってる。まぁ、裏ではプラントの息子が亡くなったりと決して良いことばかりではなかったみたいだけど、少なくともアルバム聞く限りはこの時点でも世界最強のバンドだ。いや、今はもちろんなんだが(笑)。
Bonzo Drum Roll! and Sick Again 1975
Kashmir 1975
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