Pink Floyd - More

15年前に書き始めている本ブログを見直しながらその足跡を辿ってみるかとの思いもあって書き続けているが、15年前どころかその前から聴いているアルバムもミュージシャンもバンドも大して変わっていないのが情けない、と言うか変わらないものなのか、と。まだまだコンセプトも決まらず何となく書き溜めているレベルだったので文章も短いし何処に焦点を当てて書いているものでもなく、そのままじゃ勿体無いなとも思うが、そういった作品は既に2回目のレビューも書かれているアルバムもあるし、さほど決めごとにこだわらなくても良いだろう。本日もファーストアルバムをそのまま、の回顧録じゃないが、あの頃の流れをもう一度、の気分で書いてみよう。
Pink Floydが1969年にリリースした3枚目のアルバムにして映画のサウンドトラックともなった「More」。2枚目の「神秘」まではシド・バレット色も多少ありつつのデヴィッド・ギルモア参加作品で、本作からは4人体制で望んだ最初のアルバム。それでもオリジナル作品とはやや趣を異にしているサウンドトラックなのでバンドの指向性方向性をきちんと打ち出した代物かと問われればそれはちょいと違うのかもしれない。ただ、この頃のピンク・フロイドは当然ながらライブ活動で盛んに実験的アプローチを進めており、時代はサイケデリックから芸術へと進化しようとしていた辺り、ソフト・マシーンは既にジャズに舵を切っていたが、一方のフロイドはコンセプトアルバムに取り憑かれて「The Man & The Journey」の物語を核にして仕上げに入っていた事は知られている。ところが様々な理由で頓挫して断片が各種アルバムに散りばめられて収録されており、その全貌は今では「1969 Dramatis/Ation」でオフィシャルリリースされて聴けるので、マニアックにピンク・フロイドを楽しむならそのヘンも歴史漁りと共に手を出してみるとハマれるかもしれない。
その断片の一部が本作「More」にも流用されており、サントラへの楽曲提供や創作だったにしても、映画そのものがイラン人監督の作品でサイケデリックで妙な恋愛ストーリーなので、全くピンク・フロイドの音が似合う時代の映画だからあまりサントラを意識しなくても良かったのかもしれない。それでも正にサントラでしか有り得ないだろうと思うような効果音で出来上がっている曲もあるから、そのヘンは持ちつ持たれつか。幾つかの素晴らしき楽曲とあまりにも怠惰な効果音の嵐に見舞われたアルバムでギルモアのギターが素晴らしい、ロジャーの歌をプライドを感じる、などの後期に聴かれるピンク・フロイドのスタイルはまるで見られず、初期のサイケデリック・サウンドばかりが中心で、ハマれる人はハマれるだろうが、些か退屈な感は否めない。それでも「The Nile Song」や「Ibiza Bar」のパンクでしかないロジャーの楽曲の凄さは抜き出ているし、真逆の「Cymbaline」の美しきサイケデリックさも際立っている。正直そこまできちんと聴いて曲の善し悪しを峻別するまでがこのアルバムとの対峙方法で、そこを打破すればその間にあるユラユラしたサウンドもそれらのパワー爆発も序章だと感じられるようになるし、総じてひとつの芸術作品とも感じられるようになる。ピンク・フロイドの初期サウンドはアルバム単位でその雰囲気を味わうための作品が多く、それらがまさか他のコンセプトアルバムからの断片曲などとは知る由もない。もっとも歌詞が変わっているので意味合いはまるで異なる。
この時代を思うと、既にこのようなサイケデリック色に彩られたサウンドはやや遅れ気味だし、コンセプトアルバムも恐らくThe KinksやThe Whoが先んじてリリースしていたので続いての発表を止めた部分もあるだろう。そこでこのサントラへと話があったからとは言え舵を切って実験して楽曲を再構築していったのはさすがちょいと異なるセンスの持ち主。映画監督連中もサイケな波を被っていたのでアート集団的には同じような方向性にいたのは間違いないだろう。有名な話だが、「2001年宇宙の旅」のサントラ依頼も来ていたフロイドでもあり、映画最後の無セリフ部分に「エコーズ」を流すと見事なまでにカラフルな映像と音楽がシンクロしてトリップ出来る作品にもなるのは一度お試しあれ…、YouTubeにそれがそのまま上がってるので、見ると納得です。
しかしアマゾンで見られる「More」のアルバムジャケットがどうにも物足りなく、自分が頭の中で描いているのはもうちょっと薄暗くてEMIロゴがあって細かい文字も書かれている絵柄。オリジナル盤はどういうジャケットだったのだろう、と改めて不思議に思ってしまった。
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