カルメン・マキ&OZ - 閉ざされた町




ちょっと前にカルメン・マキさんがTwitterを始めたと聞きつけて早速フォロー。それまでも周囲の勧めとかもあってHPも充実していたり、ご自身の直筆による日記みたいな忘備録とか想いみたいなのをHPにアップしていてその思想の深さや日常を共有していたりしたのだが、世の中がブログになって情報発信するようになった頃にはしっかりとブログに進化していってしまって直筆の楽しみがなくなってしまったんだけど、その分書きやすさってのもあるのかやや頻度が上がって日常のカルメン・マキさんがわかってきた。そして今Twitterで情報発信の時代、マキさんは今のところ頻繁に呟いているし、思想が出てくることも多い。さて、自分から見た時のカルメン・マキというアーティストは…、神様、に近い見方かも。いや、別に神格化しているんじゃなくって、70年代の日本のロックの中で燦然と輝いていると言うかさ、OZ時代の4枚のアルバムはまるで輝きを失うことのない金字塔だし、マキさんの以降のアルバムや活動もリアルタイムで知ってたワケじゃないけど、迷いもあり様々な出来事がある中での作品だったり、なんとなくそうか…みたいなのがあって面白い。ここ最近の作品は完全に「歌」に集中していて最早ロックととかジャズとか関係ない「歌手」だと思えるしね。そういう瞬間の呟きがTwitterで出てくるのって面白い。「歌っている時が一番楽しい」なんて今でも普通に呟くって、何も変わらない世界を持った人だよ、ピュアだよ、そういう側面って持ち続けていたいし、安心する。→マキさん Twitter
時代は遡って1976年にリリースされたハードロックバンドとして認識されたOZ時代の傑作セカンドアルバム「閉ざされた町」です。ファーストの「カルメン・マキ&OZ」で大絶賛…を当時浴びたかどうか知らないんだけど、多分浴びたんだと思う。このセカンドアルバム「閉ざされた町」はLAで4ヶ月に渡ってレコーディングされたってのが話題になっている作品だからそれくらいのカネ賭けれるバンドだったんだろうってことで。しかし、LAで録音しててこの暗さっつうか重さっつうかカリフォルニアの青い空の雰囲気まるで無しってのはLA録音の意味は何だったんだろう?ロックとしてのブランドか?海外レコーディングなんてあんまりなかった時代だったしね。ま、それ言ったら沖縄の青い空での紫のアルバムなんかも同じ意味で暗いけど(笑)。暗いってんじゃないんだよな、重さが出ているっつうトコだ。音の良さってのも特にそれほど実感しないけど確かに音のデカさは感じるし、ま、そんな録音そのものよりもバンドが充実していた余裕ってのを実感する感じ。
冒頭のイントロから迫力の「崩壊の前日」。カルメン・マキという歌手のスケールの大きさを存分に感じられる一曲で、同じようにそのスケール感覚を持っているのが最後の「閉ざされた街」。もちろん間の楽曲も捨て所のない歌唱力を存分に聴かせてくれるし、歌い方はもとより歌詞の意味やはっきりとした歌い方、日本語の持つ叙情性や繊細さをしっかりと使っているのはフォーク時代からの名残。「ロスト・ラブ」とかホントに重く心に響くもんな。もちろんその重さと叙情性を彩っているのが春日さんのギターだったり、シゲさんのウネりまくるベースだったりするんだけど、これがまた半端ないバンドの力量でさ、和風なんだけどものすごく欧米風なアレンジだから迫力あってこの時代でしか聴けないサウンドを出してる。ここまでこういう音を出していたバンドは今に至るまでそんなに多くないハズ。日本のロックって結構独自進化しているからねぇ。そして大作が多いのも特徴的で、それこそロックですよ。単に長けりゃ良いってんじゃなくてしっかりと叙情性とドラマ性を持った曲を出してくるという…、よく欧米ロックを研究していたんだろうと思う。
今でもこういう音が心地良いと感じるし違和感なくすんなり聴いていられる。昨今のメタリックやデジタル感溢れる音とはまるで違っているアナログの音で聴いているからかもしれないけど、馴染みのある温かみのある音で聴ける作品なんで好きってのもあるかなぁ。ジャケットも良いし…。そういえば一度もカルメン・マキさんのライブは見たことがない。と言うか道ですれ違っても顔をよく知らないからわからないと思う。ホント歌と作品で神格化しちゃってる人だったりするんだよね。その神秘性みたいなのが自分に取って面白くてさ、だからアルバムもまだ全部聴いてないし、まだまだ知らなきゃいけない世界がたくさん残されている人なんです。もう20年以上聴いているのにまだ深く楽しめるっつうのもこれまた良いじゃない♪
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