ロック好きの行き着く先は…

60年代のブリティッシュロックから70年代黄金期を聴きまくり、行き着く先はマニアへの細くて深い道のみか。それでも楽しいロックこそ我が人生。 by フレ

AC/DC - Blow Up Your Video

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AC/DC - Blow Up Your Video (1988)
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 15年前のQueen+Paul Rodgers来日公演時の記憶を呼び戻すと本ブログでも書いているがライブ始まる前の会場内でのBGMでジミヘンが流れたりエミネムが流れたりしている中、開演直前で音が大きくなって流されたのがAC/DCの「Hells Bell」だったのは今でも鮮明に覚えている。それまでの音量から一気にライブの音量になっての鐘の音だったからどこか凛とした感じがしてあの荘厳なイントロが流れて来て、と戦慄までは言わないがなかなかの雰囲気を感じた。その頃AC/DCは知ってたし聴いてもいたが、そこから15年経過した今から見ればまだまだ聴けてなかったと思うし、浅はかな聴き方だったかなと思う部分も大きい。そこから散々聴いたとは言わないがそれなりに結構聴いてきたからアルバムやバンドの捉え方もまた異なっている。ここまで10年一日どころか30年一日レベルでのバンドスタイルは既にラモーンズを超えての一辺倒ぶり。メンバー、兄弟が逝去しようが変わらない、それこそがブギ、ロックンロールとばかりに我とわが道を突き進みもうじき「パワーアップ」なる新作をまたリリースするのだから恐れ入る。

 1988年にリリースされたAC/DCの「Blow Up Your Video」は前2作の不発ぶりを吹き飛ばすかのようなインパクトの「Heatseeker」から始まり、「That's The Way I Wanna Rock'N' Roll」へと怒涛のフック曲で一気にリスナーの心を掴むスタイルを実践。LAメタル=ヘアメタル全盛期のMTV時代に殴り込みを掛けるかのようにおちょくったPVがAC/DCらしいし、それでも音の本質とバンドのスタイルは変えていないからスジの通ったR&Rを繰り広げての踏ん張り方。同時代の若手連中のハネっぷりとは異なるひたむきなスタイルは別の意味でリスナーにその熱さを訴えて心に響かせた事だろう。自分はその頃リアルタイムで見ていたが、やはり半ズボンと汗臭さのカッコ悪さが入り切れなかった。かと言ってLAメタルが良かったかと言うものでもなかったのでそもそもそのヘンに入れ込めなかった、もっとストレートなR&Rの方が好みだったと言うべきか。そこからロックを深掘りしてハードロック、ヘヴィメタルと時代は進化して流れのままに聴くことも多くなり、好き嫌いじゃなくて聴くようになってからは普通に馴染んでいる、そんな経緯だ。改めて今本作「Blow Up Your Video」を聴いているとAC/DCの歴史的な聴き方と1988年という時代での聴き方でイメージが異なるのだろう。単純にAC/DCの歴史としての位置付けで聴くならばフィル・ラッドではないNWOBHM出身のサイモン・ライトがドラムに座っての作品ながらその個性がガッツリとは活かされていないあたりが物足りないが、冒頭2曲の勢いはサイモン・ライトならではのスタイルか。アルバム全体を通して聴いてみればAC/DC印はきちんと付けられているが、やはり前2作の流れと同じく弾けぶりが物足りなくも感じる。ミドルテンポの楽曲があまりにもべったりと張り付いているとでも言うべきだろうか、ブライアン・ジョンソンの歌声がその手の楽曲にマッチしているのでバンド的にそっちに向くのは分かるが、初期AC/DCにあったスタイルがもっと多くても、と。ただ、これまでに比べれば随分と戻ってきている感触はあるのでまだまだ聴き込みの足りないアルバムなのか。

 終盤に「Ruff Stuff」が入ってて、これが結構往年のAC/DC節を出しているので救われる。こういうスタイルのブギ曲でもっと攻め立てて派手派手な冒頭曲みたいなのが散りばめられて、意表を突く作品が数曲くらいだとさすがAC/DCとなるのだろう。その意味でこのアルバムはあと一歩感はあるが、突出した曲が突出してくれているので助かる作品。それが売れたからセールス的にも救われたようだし、良いじゃないか、アルバム全体がどうのなどと細かい話は、と言ったら身も蓋もなくなるが。AC/DCの立ち位置はシーンから見たら実に不思議な存在で、メタルじゃないしそこまでR&Rでもないし普通にハードロックとも言えるが、軽やかさや軽快さはないからちょいと異質だし、この時代の中ではジジイに近かったしどういう区分なのだろう、と意味もないところで捉えていた事も思い出した。ジューダスやメイデン、MSGやホワイトスネイク、スコーピオンズはちょっと違うがメタル初期の音してたし、メタリカやアンスラックス、アクセプトなどはモロにその汗臭さがメタルだったし、ラットやモトリーは派手派手なLA系で、やはりAC/DCのオーストラリア感が浮いてた。幼心にもその異質感は分かったのだから面白い。フレディ・マーキュリーやジョージ・マイケルを見て何か違う、と思った本能に似ているかも。

 そのAC/DCも本作からシーンに浮上して、それは次世代のGuns'n Rosesのアクセル・ローズあたりがAC/DCへの賛美を繰り返していた事も大きかっただろうし、その影響は何年か前に彼がツアー丸ごとボーカルで参加した事からも本当に好きだった事で分かるだろう。歴史の流れは面白いものだ。あの違和感の無さもさすがアクセル・ローズと思ったが、1988年、ガンズが出てきた時期にそういう発言がなければAC/DCはもっと水面下にいたかもしれない。またガンズが売れてなければここまでシーンに浮上していなかったかもしれないし、全く関係なかったのかもしれないが、ロックシーンの中で絡み合う歴史はそういう面白さを持っている。日本史を漁って誰それがあの時どこそこにいたら、いなかったら歴史はこうなってた、と同じような捉え方でロックを紐解くのも妄想が膨らんで楽しいものだ。AC/DCに至っては以降完全復帰して超大御所へとステップアップしていくのだからこの時代は一つのターニングポイントだったと思う。そんなことを思いながらの「This Means War」のアグレッシブなシーンに合わせたかのようなスタイルのメタリックな楽曲を味わっているところ。何だ全然地味でも悪くもないアルバムじゃないか。幾つか面白味の感じられない曲が入ってはいるが、何度か聴けば馴染むだろうし、垢抜けた新しい方向性を見据えたホント、ターニングポイントの作品。





Paul Rodgers - The Strat Pack

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Paul Rodgers - The Strat Pack (2004)
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 1954年にはストラトキャスターのデザインも今見られる形に出来上がり、苦節2年の成果が実っての完成形が生まれた年だった。もちろん最初からフェンダー社の中の話で、ストラトはレスポールと違ってフェンダー氏も含めて数人で作り上げたから人名が前に出て来ないが、今でも愛し愛され使われているギターのスタンダード形。ギターと言って万人が思い浮かべる形は多分ストラトキャスターだろう。そのストラトキャスター生誕50周年記念イベントをしましょうと誰が言ったのか、2004年9月24日にロンドンのウェンブリー・アリーナで「The Strat Pack」名で開催されていて、一大イベントとして当然ながら映像作品化もされているので今でもYouTubeで丸ごと見られるのもありがたい。15年前の本ブログの記事の取り上げ方ではブライアン・メイとポール・ロジャースの共演の一幕、そしてポール・ロジャースファミリー共演となった記念のイベントとの位置付けで書いていたが、今回はイベントそのものの映像を書いていきたい。

 基本的にストラトキャスターをメインに使用しているギタリストが中心のハズだが、どういうワケかブライアン・メイが積極的に参加している辺りからして不思議。義理上ブライアン・メイもストラトを弾いているが、普段使ってないしイベント主催の方で絡んだのだろう。そのヘンからするとこの頃ではまだまだ無名だったミュージシャンも何組か出演してお披露目的に参加している姿も見れるので、主催側からの出演依頼だろう。どうしてエイミー・ワインハウスがストラトのイベントで出てくるんだ?となるし、ジミヘンの「Angel」で収録されているジェイミー・カラムなる鍵盤奏者も凄い才能だがストラトとは無縁だろうし、とツッコミどころはあるが、その冠をある程度は無視して楽しむが良し。ストラトキャスター冠にこだわるならば、リッチー・ブラックモアやジェフ・ベック、クラプトンあたりが参加しても良さそうだったが、そのヘンはしょうがないか。リスナー側の一方的な想いはそんなもんだ。

 気を取り直してイベントを見渡せば冒頭から往年のスターThe Cricketsが見事にストラトキャスターをその音で鳴らし、ブライアン・メイとアルバート・リー、そしてロン・ウッドが華を添えてのプレイ。「I Fought The Law」がここで取り上げられるとはかなり意外性が高いのもあるし、一方では英国民にはThe Clashバージョンで馴染み深いとすれば新鮮な響きだったろう。本イベントの中で最もストラトがストラトだけの音で鳴ってたチームとも思える。ハンク・マーヴィンに続いて美しき女性がストラトを持って出てくるとテレサ・アンダーソンなるスウェーデン出身の歌の上手い人で、インパクトあったのでイベントの出演は大正解。そしてマイク・ラザフォード出演でストラトに敬意を払ってのジミヘンカバー2曲だが、この人が歌うとこうなるのか、と思うくらいには角のない無難な演奏でギターソロはサポートバンドに入っているフィル・パーマーか。さすがの音使いと安定とツボを得たプレイで割と引き込まれてしまうのは見事。先程からずっと後ろに映っているベーシストはほぼ全編を通して弾いているピノ・パラディーノ。この時は既にThe Whoにまだゲスト的にツアー単位で参加していた頃だろうが、それでも随分と忙しい日々を送っていただろうし、それも引っ張りだこのベーシストだから故か。

 そしてゲイリー・ムーアの登場による「Red House」で場の雰囲気は一気に変わり、超絶ハードなギタープレイスタイルをこれでもかとばかりに聴衆に叩き込んでいく。懐かしのピンクのストラトは80年代初頭のゲイリー・ムーアのトレードマークだったギターだし、それでジミヘンを炸裂させて本イベントの中で唯一人あそこまで歪ませてエモーショナルなプレイを存分に振る舞った素晴らしきプレイだ。その場を抑えるかのようにジェイミー・カラムが登場し、更にエイミー・ワインハウスもまたこの中では突出したボーカルを聴かせてくれてインパクトを放った事だろう。全く毛色の異なる独特のスタイルの楽曲も歌も斬新、参加しているミュージシャン側からもそう思われたのじゃないか。その余韻を解き放ったのが往年のベテランシンガーポール・ロジャース。こうして流れを見ていると、ポール・ロジャースは自身の時間枠の中に息子と娘の組んでいたバンドBoAの枠を入れ込んで披露したのだろう。さすがにポール・ロジャースのお子様たちで標準以上の音楽家ではあろうが、父親やエイミー・ワインハウスあたりが凄すぎてあまりにも普通に聞こえてしまうのは場が悪かったかもしれない。それでも家族でこんなイベントでプレイ出来るなどそうそうないだろうから愛の溢れるステージとして良かったとは思う。そして「Alright Now」でブライアン・メイを引き込んで共演した事もクイーン参加のきっかけとなったのだろう。

 このメンツ、FreeにThe WhoにQueenの合体だから凄いよ。続いての「Can't Get Enough」ではジョー・ウォルシュ参加だからThe Eagles / James Gangの合体だし、時代が経つと何でも起こりうるものだ。そのままジョー・ウォルシュのコーナーに入り、お茶目な、そして白熱のプレイが幾つか炸裂してからクールにフィル・マンザネラのストラトを活かした職人芸が光るプレイを堪能させてもらい、デイヴ・ギルモアに繋がる。ユニークなのはフィル・マンザネラがそのままサイドギターで残ってギルモアと一緒にプレイしているあたりで、さすがに場を圧倒する雰囲気作りが上手い人、空間演出を取り込んでしまう見事なフロイド調のムードでのギタープレイは堂に入ったもの。本ライブで一番票が高かったプレイだったようだが、それも納得。ストラトキャスターの音色の出し方も含めてさすがのプレイ。そしてオーラスは英国らしくユーモアのあるお茶目なステージが求められるのはいつもの事で、そんな時にはロニー・ウッドの出番だ。この人はホントキャラクターの勝利で何処へ行ってもこのまま、シリアス感などまるで見当たらず場をなごませてくれる雰囲気と音楽性、ギタープレイが素晴らしい。英国ではフェイセスの名曲群はスタンダードだろうから成り立ってもいるが「Ooh La La」と最後には出演者全員での「Stay With Me」で、歌詞カード見ながらの情けなさはあるもののポール・ロジャースが歌ってるから物凄いカッコ良い歌になってて、そこにギタリストたちが皆ストラト持って出てくる構図。ブライアン・メイはレッドスペシャルだけど。

 この頃見てても爺さんばかりだと思ったが、そこから結構な年月の経った今同じような事をしたらもっと爺さんや既にこの世にいない人達も多いし、イベントはやっておくべきだし出演しておくとメリットもあると思いたい。自分が気にするのがこの手の方々のイベントばかりだからそう思うのかもしれないから、若手や中堅どころのイベントももっとあればと思う。ただ、曲が難しく個性的になっているのでなかなか気楽に集まってその場でコード教えて出来るようなものでもないのだろう。しかし随分古い映像をずっと見てて知ってる曲も多いから余計に楽しめるのはあるが、ロックは面白いな。

Queen + Paul Rodgers - Super Live In Japan 2005

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Queen + Paul Rodgers - Super Live In Japan 2005
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 2005年10月26日はQueen+Paul Rodgersの初来日公演初日のライブに行ってきたらしいが、確かさいたまスーパーアリーナで開場から入って、ステージ右脇の上部で見ていた気がする。もちろんクイーンが好きでフレディの死もリアルタイムで知ったし、そこから伝説になっていったクイーンも見ていた。それがまさかまさかのポール・ロジャースとの合体劇には驚いた反面、どういう風になるのだろうか、確かにポール・ロジャースなら歌えるし弾けるだろうから案外クイーン側が食われてしまうのかもしれないなどと妄想が膨らんでいたが、それを実際に生で見れたのは嬉しかった。しかも想像をとんでもなく上方に超えてのぶっ飛び感で見られたのはさすがのパフォーマンスと唸らされた。そういえばその時のライブは録画されていたし、その後翌日の10月27日のライブはDVD「Super Live In Japan 2005」でオフィシャルリリースされていたのも忘れていたので、丁度良い15周年としてここに上げておこう、そしてついでにライブを冒頭から見ている最中。さすがに最近のアダム・ランバートとの共演に比べれば単純に15年分ブライアンもロジャーも若いのだからエネルギッシュでポール・ロジャーズの躍動感もあってバンド感満載。改めて見ると凄いライブやってるので、この時にフレディじゃないから、などと敬遠したり無視したりしていた人は結構損しているハズだが、人の好みはとやかく言えないしこだわりも同じくだ。自分もそういうのあると言えばあるが、クイーンよりもフリー、即ちポール・ロジャーズの方が好きだからまるで問題なく、どころか期待満点だったのは良かった。

 ライブの冒頭からガツンと来るかと思えばポール・ロジャーズの「Reaching Out」のアカペラから始まる意外性。この曲は「リターン・オブ・ザ・チャンピオンズ」にも収録されているが元々1996年にブライアン・メイがチャリティCDで3曲入りのCD「Rock Therapy」をチャーリー・ワッツやポール・ロジャース達と共にリリースした際に、ボーカルにポールを据えて録音した曲なので、実に10年ぶりくらいに持ち出してきた楽曲だ。ミュージシャンの楽曲は大抵これくらい物持ちが良いケースが多く、皆大事に楽曲を作って持っているものなのだといつも感じる。それで再録音してのリリースでもっと一般的に広まっていくし、そもそも歌詞の内容が「手を差し伸べよう」的でフレディ不在のクイーンにも相応しい側面もあっただろうから納得。そこからはもうクイーンロックのオンパレードに加えてふと入ってくるフリーの楽曲も自分的には気分の盛り上がる瞬間。ずっこけるのはあまりにも上手すぎるポール・ロジャーズの日本語MCくらいで、さすがに奥様が日本人だっただけあって手慣れたもの。

 歌唱力や違和感については今となっては全く感じる事もなく、こういうパターンもあって良いだろう、いやあった方が結果的に面白かっただろうし、今でもその路線を続けている事でクイーンは映画にもなるくらいの伝説になり、そのおかげでフレディも神格化されていくし、バンドの新しい継続した姿を見せたとも言える。ポール・ロジャーズもホント声が出ているし動きも素晴らしいしギターもピアノもOKだしメロディの崩し方もさすがのプロだし何も言う事ないだろうレベルで聴衆を楽しませてくれた組み合わせ。その後意気投合してオリジナルアルバム「ザ・コスモス・ロックス」まで作り上げてしまったくらいだからもうやれる事、やりたかった事をやり尽くした感あったのだろう。アダム・ランバートとのジョイントでは新アルバムはリリースしていないし、今の所ポール・ロジャーズとのジョイントがクイーン名義のオリジナル・アルバム最終作じゃないかな。思えば何かと来日公演を必ずしてくれるし日本の聴衆も盛り上げてくれるしクイーンやフリーにとっての日本は特別な国になるだろうし、何度か見られただけでも幸せに楽しめたものだ。そんなノスタルジックさを思いながら最後の最後まで結局見尽くしてしまった想い入れ深いライブ映像。



Elvis Presley - The '68 Comeback Special

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Elvis Presley - The '68 Comeback Special
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 R&Rはカッコ良くて当たり前、カッコ良くなきゃダメだ、と言うのが普通だった。いつからかそのカッコ良さの角度が様々になり人それぞれ定義が変わっていったのでシンプルなカッコ良さが見えにくくなっていったが、原点の原点に戻ってのエルヴィス・プレスリーをこの時代にまた見ると、ロックンロールはこういう問答無用のカッコ良さがあるべきものだと痛感した。誰がどう見たってカッコ良いでしょ、この時代のライブ映像。50年代にデビューしてアイドルの人気を博して兵役を務め、60年代末にシーンに戻ってきての余裕のあるライブ活動、レコーディング活動は一回りも二回りも大人になってのエルヴィスの色気が存分に振り撒かれている。ただ、以前のアイドル感は無くなっているのでその意味での人気は落ちていたから陰りのある時代とも言われるのだろうが、存分に楽しんでいる姿は残された映像を見ていれば分かるし、有り難い事にどの映像でも大抵スコッティ・ムーアも脇でギターを弾いているので、その神業的ギターを垣間見れる。

 ロックの偉人たちは皆が皆エルヴィスを見てロックンロールの虜になり、そのスター性を夢見て歌い始めた若者も多かったようだが、その実、脇を固めるスコッティ・ムーアのギターに魅了されてギターを弾く少年たちも多数いたようで、その音楽的センスの良さこそが後に有名ギタリストになる素質そのものだったかもしれない。ブライアン・イーノに至ってはスコッティ・ムーアが奏でるギターの残響音、リバーブのマジックに魅せられてその音の出し方からああいう探求道に入り込んでのアーティストになっていったらしい。何度も何度もエルヴィスのサウンドやライブに戻っては聴いたり見たりしているが、毎回カッコ良さに痺れてハマるが、流石にずっと聴いていると飽きてくるのは今の時代の音楽の豊富さを知っているからだろう。この時代だったらビートルズやストーンズが居て、同じくエルヴィスも居てと随分豪勢な時代だったと思う。更にハードロックやブルース、プログレ勢も加わってくるのだから頼もしいが一方エルヴィス自身は時代遅れ感も感じていたのだろうか。そんな杞憂な事を考えつつも存分にシンプルなロックンロールを楽しんでいる。

 結局ほとんどの曲を聴いたこともあるし知っているのは後世のロックバンドが大抵何かしらプレイしているからだろうが、こうしてオリジナルにシンプルな編成で聴いていると、やはりこのスタイルが一番カッコ良いのだろうし、分かりやすい。バンドも一体感があるからエルヴィスを立てるのは当然ながらもきちんと全てが全てに合わせて盛り上げている。普通に見て聴いてても歌は上手いし迫力もあるし、この時代はゆとりもあるから正にキングの貫禄が漂ってる感じで楽曲の良さも含めて素晴らしいの一言。たまにはきちんと原点に戻ってロックを楽しむと心洗われる気分になる。





Motley Crue - Decade of Decadence

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Motley Crue - Decade of Decadence (1991)
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 15年前の自分も何でも聴き漁ってて、それもこれも自分史で聴いてきたロックをそのままおさらいしてこのブログに書いていたようだ。意図的に毎日異なるジャンルと言うか世界のアルバムやバンドを聴いていたから最初はこのブログって一体どのヘンのジャンルが描かれるのかな、と不思議に思って見ていた人もいただろう。まだ最初期だったのでそこまでの読者が付いてはいなかったから、まずは記事を貯めないと分からないかなと思っていたのはあった。何がしたいのか明確でもなかったが何となくのビジョンは持っていたのでそんな事を考えて書いていた事をちょいと思い出した。それにしてもここでモトリー・クルーが出てくるのはどういう了見か、たまたま何かで聴いてそのまま思い出して書いていたのか、全く言うべき言葉もない。それでも15年前を振り返っての再レビューシリーズを続けているので、これもまた久々になるがモトリー・クルーの初期のベスト盤「Decade of Decadence」を聴いているところ。

 1991年、Motley Crueのデビューから10周年を記念してのベストアルバム「Decade of Decadence」がリリースされているが、この頃Motlry Crueって結構全盛期だったからベスト盤など出す必要あったのだろうか、それとも売れるから出したのか、不思議ではあるがアチコチで見かけたので売れたらしい。今そのアルバムを聴いているが、自分的にはアルバム「Theatre Of Pain」までしかキチンと聴いていないバンドなのでこのベスト盤でも他のベスト盤でもモトリー・クルーで知っている曲が多くない。ただ、それこそモトリー・クルーの最初期の作品群なのでバンドのスタイルやスタンス、試行錯誤の結果の方向性など垣間見れる曲も多く、割とブルージーさもあるかと思えば悪魔主義に走ってるのもあるし、この後のパーティロックバンドのイメージだけは持っていないが、そういう変化をファッションも音楽性も微妙に調整してシーンに君臨して王道になったのは戦略勝ちの面も大きいだろう。最初期のライブのハチャメチャさは今でも知られているがかなりぶっ飛んだ演奏で、ミュージシャンらしさよりもロックバンド小僧達の集まり的感が強く、そのおかげでハノイ・ロックスのラズルの交通事故死も起きてしまったし、と話題は豊富なバンド。それでも久々に聴いていると知っている曲が多いのもあるが、ソリッドでカッコ良い曲が多いし、分かりやすい。この分かりやすさはモトリー・クルーの得意技で、キッスからの流れを含めてルックスの強烈さを音楽の軽やかさで補い、実は聴きやすいポップさを持ち合わせている筆頭格。

 「Live Wire」のソリッドなリフのカッコ良さ、「Shout At The Devil」の横ノリ感溢れながらもどこかサバス的でもある不思議、「Looks That Kill」の超絶シンプルなしつこいくらいの同じリフの繰り返しは病みつきにもなる。そしてあのトミー・リーが意外な才能を見せつけた「Home Sweet Home」の代表的バラード、単純だが分かりやすくヴィンス・ニールのダミ声が見事にマッチした傑作、同様にこんな古臭いリズムとパターンもモトリー・クルーがやると面白い曲になると証明した「Smokin' in the Boys Room」のノリ、ライブバージョンにはなるが「Red Hot」のハードさも楽しめるし、他の曲も案外知ってたのでそれだけ売れてたのは分かる。ふた周り経過した今の時代にまた聴くと、ここまでポップで分かりやすく軽やかで、更に意外な事に歌声に嫌味がない爽やかさもバンドのイメージとは異なる実力だったし、更に話題作りが上手い、と言うか天然で豊富なのかいつも名前を見かけるような存在だった。こういう聴き方でまたモトリー・クルーに触れたのも面白かったし、またどこかでアルバム全部順番に聴いてみるかと少しだけ思った。



U2 - Achtung Baby Deluxe Edition

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U2 - Achtung Baby Deluxe Edition (1991)
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 U2の印象はどうしたって寒いロック、それでいて暑苦しい熱さを持ったバンド、生々しさが信条でソリッドでシャープなサウンドが広がるバンドの印象、即ち「Joshua Tree」や「The Unforgettable Fire」で聴かれる、イメージされるバンド像でしかなかった。1990年代に入る頃は自分的には70年代ロック漁りが激しくてリアルタイムのバンドやロックにはあまり見向きしなかった頃があったのでU2がこの「Achtung Baby」をリリースした時期はあまりまともに取り合って気にしていなかった。それでもこの頃のU2の話題は耳にしたのでそれだけインパクトが強かったのだろうと思うし、その後の日本公演の東京ドームで年末年始を飾ったような話もあったからやはり話題は大きかったらしい。自分的にはその頃は本作も聴いていないし見てもいなかったからリアルタイムな話題は何もないが、そんな印象。丁度1990年代の3枚は自分的に通らなかったU2時代だったのは幸か不幸か分からないが、結局後になって全て聴いてじっくりと味わったので良かろう。「Achtung Baby」はまだまだ古き良きU2のイメージを保った曲も多いので馴染みやすいが、それ以降の変化は凄いモノがあった。2005年の自分もこのアルバムを聴いていたようだが、まだ全貌は掴めていなかったような感じがする。もっとも今だからこそ全貌が掴めているモノでもないので大した事も書けないだろうが。

 U2の「Achtung Baby」は1991年リリース作品で、ボウイやイギーが邂逅したベルリンのスタジオでイーノまでも迎えてのヨーロッパ回帰を狙った作品だったようだ。バンドは商売でもあるからアルバムを作る毎に売らなければいけないが、バンド側やアーティスト側はやりたい音楽や実験したい音楽もあるし、過去作り上げてきたサウンドもあるから時代の境目、変わり目での作品作りは頭を悩ます事も多いし、その方向を間違えると割と取り返しが付かないまま消滅していく危険性すらあるので、本気の議論や熟考しての方向性、試行錯誤の産物など様々な要素が絡み合う。丁度この時期はU2にとってそういうタイミングだったようで、相当に試行錯誤したのだろうと想像が付くが、出てきた音だけを聴いているリスナー側は気楽なものだ。自分でも同じだが、出てきた本作を聴いて思ったのはあのU2独特の鋭さは何処へ行ったのか、熱く滾る思いをぶつけたロックバンドの姿は何処へ行ったのか、やはりロックは大人になると出来なくなるのか、どうしてこんな軽快でキャッチーでテクノっぽくロックらしくない音に向かうのかまるで理解出来なかった。アルバム全部をじっくり聴いて良し悪し、好みを選ぶなどの次元ではなくそのクールさが自分的にイマイチ合わなかった。それでしばらく距離を置いていたのがU2の90年代のアルバム郡。世間的にはU2の変化が一般的なリスナーには受け入れられて大御所の仲間入りをしたと言われていた時期に自分は真逆の聴き方だったひねくれモノ。結果的にその聴き方も分かるが、なるほどU2の向かった方向の面白さも分かるようになって良かったとは思う、そんな印象。

 冒頭から音作りのイメージの変化は著しく、随分斬新な音でアルバムを飾ってくれるが、アルバム全体の何処を斬ってもとにかくシュールで暗くてヨーロッパ的と言うかデカダンな雰囲気が漂い、アメリカでは全く似合わないかのようなスタイルばかりが続いた作品だが、現実的にはアメリカで受けていたのはアメリカ的な面がないからだろうか、不思議だ。それでスタジアムバンドにまでなってしまったのだから恐れ入る。このアルバムも今じっくりと久々に聴いているが、ヤバいくらいによく出来ててハマり込んだ。どうして上述したようなイメージを持ったのか、持ったのは分かるがこの面白さに気づかなかったのか、自分の未熟さが分かると同時に自分の成長度も分かった。この暗さの中の芸術感、それはボウイのベルリン時代を聴いているのと同じ意味合いだったのか、そういう並べ方で聴いてなかったから思い付きもしなかったが、なるほど、この質感こそはあのアルバム郡と同じだ。1曲1曲の質の高さも当然ながら、アルバムに纏め上げているテンションの高さも納得の一枚で、ロックバンドだぜと言っていたバンドのメイクや道化師ばりのライブスタイルの変化も驚かされた。全くU2は自分の想像以上のロックバンドだったと見せつけられた時代の作品で、以降ライブ映像もかなりの数見ているしアルバムはほとんど聴きまくっているし、凄いバンドだと語っているくらいだが、そこに至るまではなかなか難しい面もあった。この後もまだU2は楽しませてくれて今でもライブ活動してくれているのだから生ける伝説の域に入るのだろう、あの愛の溢れるライブ感はまた味わいたい所。